私の似顔絵
(辛亥新春、昭和58年に
描いてもらいました。)
会長コラムへようこそ。

あけましておめでとうございます。
昨年は多事多難な年でした。
今、日本は苦難な時期にさしかかりました。
今年は辛苦の年になるのでしょうか。
辰(龍)年にあやかり、この難関を登り切れば、前途は明るく!
 
辰(龍)年に想う
-唐津くんち曳山の中に住む龍-
(一)架空の動物、辰
 今年は辰年である。
 辰は12支の子(鼠)、丑(牛)、寅(虎)、卯(兎)、辰(龍)・・・・・・の5番目の年にあたる。
 12支には、それぞれ、動物があててある。その中で辰年の「龍」だけが架空の動物である。その他はすべて、実在の動物。なぜ、辰年だけが・・・、その理由は全く不明である。
(二)龍の生い立ちは?
 それでは、龍はどんな動物。どうして、造られていったのだろうか。
 中国最古の中国文字学の古典(辞書)である「説文(せつもん)解字」によると、
 「龍は鱗虫の長、能く幽く能く明に、能く細く能く巨(おおい)に、能く短く能く長し。春分にして天に登り、秋分にして渕に潜む」
 とあるとのこと。
 さらに「管子」には、「龍は5色を身につけ遊び、蚕のように小さくなったり、大きくなれば天地を入れる。また、登ろうとすれば雲を凌ぎ、沈めば黄泉に伏す」
 とある。
 さらに、いろいろの人たちが想像力をたくましくして、龍の実体をつくりあげていく。
 これらの共通点をまとめると、
 角(つの)があって鱗(うろこ)があって髯(ひげ)があって、足の指が5本ある。さらに、角は鹿に似たり、頭は駝(ラクダ)に目は鬼に、項(うなじ)は蛇に腹は蜃(みずち)に鱗(うろこ)は鯉、爪は鷹に掌は虎に、耳は牛に似たり。
 といったり、全く勝手気ままに龍のイメージをつくりあげていく。
 さらに、詳細になっていく。龍の鱗は81枚、鯉の鱗は36枚といずれも9の倍数になっているのは「易」に関係するとか・・・。
 大切なことは、龍の喉下に1尺4方の鱗があるとのこと。もし、知らないで、その鱗にチョットでも触れようものなら、龍は凄まじい勢いで怒り、觸(さわ)ったものを生かしてはおかない。中国で、天子の怒りに触れることを「逆鱗に触れる」と言うことは、皆様ご承知の通り。
(三)龍は超能力
 皆さん、以上のことから龍とはどんな動物をイメージされますか?
 中国の人たちは、実在する動物がそれぞれもっている力を総合して偉大な動物を想像、創造する。その名を“龍”と呼び、異次元の世界へ雄飛させ、神通力を与える。
 龍は古くから鳳凰、麒麟、亀とともに「四霊」として尊敬され、神格視されている。
 
 先程の「逆鱗に触れる」は天子が怒ったときのみに使われており、一市民の夫婦喧嘩でいくら激怒しても使われない。
 天子の顔は龍顔、天子の駕(乗り物)は龍駕(かご)と、龍は崇敬されていく。
(四)龍に因んだ唐津曳山5台(題)
 萬有に力を発揮する“龍”は、現在の私たちの周囲にかかわっている。
 唐津が誇る、国の重要無形民俗文化財、佐賀県の重要有形民俗文化財、唐津曳山14台のうち、何と5台が“龍”に関係している。
 
 1.亀と浦島太郎、龍宮城
 まず、3番曳山、亀と浦島太郎(材木町)、ご存知、浦島太郎の物語。
   「昔々浦島は、助けた亀に連れられて
       龍宮城へ来て見れば絵にもかけない美しさ
   乙姫様のごちそうに鯛やひらめの舞踊り
     ・・・・・・
   心細さに蓋取ればあけて悔しき玉手箱
       中からぱっと白煙たちまち太郎はお爺さん」
 以上は、文部省唱歌、「浦島太郎」。
 絵本などでは海辺で呆然と立ちつくす浦島太郎を描いて終る。しかし、御伽草紙では、すぐに鶴に変身して天高く飛び去る。亀は、龍と同じく霊獣、鶴とともに長寿の象徴である。
 また、海中を支配する龍宮城は、永遠の理想郷である。
 唐津曳山3番。1、2番が赤、青獅子。3番は海に近く川べりの材木町。何か特色のあるもの・・・として、浦島太郎はひときわ目立った存在である。
3番曳山「亀と浦島太郎」(材木町)
天保12年(1841年)制作
 
2.飛龍
 ついで、7番曳山、飛龍(新町)。
 12年前の大晦日、紅白歌合戦に出場、舞台を飾ったことをご存知の方もおられることでしょう。
 
 龍は、地上、水中、空中に住み、雲雨を自在に支配できる力をもち、「龍は一寸にして昇天の気あり」という諺にもあるように、一気に天に登り、飛龍となる。
 中国の古典「易経」には、王位に登りつめた王を飛龍とみなし、次のように戒める。
 「飛龍、天に在り、大人を見るに利(よろ)し。亢(こう)龍悔あり」
 その意は、「飛龍、天に在り」とは天徳のある人が王の地位につくべきであり、上位にあって大局的見地から下位を治めること。
 「亢龍悔あり」とは、登りつめた龍、たとえば尊貴をきわめ、栄華の頂上に達した人でも、その身を慎み、戒めなければ、いつの日か、転落の憂き目に遭い、悔いを残すことになる。との人生訓である。
7番曳山「飛龍」(新町)
弘化3年(1846)制作
 古館正右衞門 著「曳山のはなし」によれば、醤油醸造業を営んでいた前川仁兵衛と酒造業の石田伊右衛門の2人が、南禅寺の板戸に描かれていた飛龍を見て帰り、中里重宏、守衛の兄弟に制作を依頼したという工芸品である。とくに中里守衛は学に秀でていたと云われている。
 おそらく、「龍」について、薀蓄を傾け、完成させたものであろう。
 
3.七宝丸
 唐津曳山の掉尾を飾る、14番曳山、七宝丸(江川町)。
14番曳山「七宝丸」(江川町)
明治9年(1876)制作
 天子や王として、位人身をきわめた人たちが、船首に龍頭を掲げた船を浮かべ楽しんだ故事に因んだ曳山である。
 わが国では、平安時代、万寿元年(1024年)、左大臣藤原頼道が天皇、皇太子を迎え、舟遊びを催した絵巻が残されているという。(前掲、「曳山のはなし」より)
 明治9年制作であるから、恐らく、長崎くんちをヒントにし、「蛇宝丸」と称したようだが、天下最高の権威者が座る船だから「七宝丸」がふさわしく、船上には、「七宝丸」と書かれた鳥居の簾(すだれ)が垂れている。
 曳山展示場であらためて、接近して鑑賞すると、角、眼光、鱗、爪、髯、歯等々、中国古代人が想像したような迫力ある“龍”のイメージそのままである。
龍頭部分 左側面
 七宝丸の7宝は、この龍舟の中にある(1)船上の屋根の隠れ蓑(2)宝珠(3)団扇(4)打出の小槌(5)勾欄間(6)宝袋(7)巻物、鍵等。
 また、一般的には七宝とは、極楽浄土を彩る「金、銀、瑠璃、琥珀、瑪瑙、珊瑚、硨磲(シャコ)、玻璃(ハリ)」。七つの貴重な宝石をいっている。龍の船に、七宝を積んで、遊ぶのは最高の栄華だろう。
 
4.源義経の兜
 以上、3台の他に、4番曳山、源の義経の兜(呉服町)。
4番曳山「源義経の兜」(呉服町)
天保15年(1844)制作
1、2番が赤、青獅子、3番が浦島、その次に神輿の守護に当たる武将を代表するものとして、義経の兜を選んだのだろうか。その兜の眉庇中央止の鉢底部中央に龍頭が燦然と輝き、より豪華さを増している。
 
5.上杉謙信の兜
 次いで、10番曳山、上杉謙信の兜(平野町)。
10番曳山「上杉謙信の兜」(平野町)
明治2年(1869)制作
 9番曳山、武田信玄の兜の後、上杉謙信の兜が続き、華麗を極める。この上杉謙信の兜の錣(しころ)の最下部は「乱舞する龍」で装飾されている。
 武将の頭頸部を守る兜を守るにふさわしく、力強く雄美である。
 
 以上、龍にまつわる唐津曳山5台を思いつくまま紹介しました。やっぱりなんとかかんとか言っても、唐津っ子だなあと苦笑している。
 
(五)辰年に想う
 2012年、平成24年は辰年、龍の年である。中国では古くから龍が現れるときは、常に国家の瑞兆として、これを祝ったり祭ったりしたという。
 例えば、名君といわれる漢の高祖の母は、夢の中で、神に遭い、雲の上に龍が現れて、高祖を生んだ、とか。古今の名君、堯は1日10端あるうち、そのうち必ずひとつは、龍があらわれたと伝えられている。
 昨年11月ブータンの王様が来日されたとき、ブータンの国旗には龍が描かれており、子供の質問に対し、国王は丁寧にお話しをされていた。
 暦をたどっていくと、明治元年、明治維新は辰(龍)年である。
 日本の現状は大きな改革をはじめねばならぬ年です。
 国民一人ひとりが佳い年でありますように・・・。
参考文献:
 「十二干物語」 諸橋轍次 著 大修館書店
 「曳山のはなし」 古館正右衞門 著 第一法規出版
 「十二支の話題事典」 加藤迪男 著 東京堂出版
 「中国名言物語」 寺尾善雄 著 河出書房新社
 「唐津曳山 記録保存 報告書」 唐津市教育委員会
写真提供:唐津市