私の似顔絵
(辛亥新春、昭和58年に
描いてもらいました。)
 でんじろうコラムへようこそ。

 私どもの会社、宮島醤油株式会社は社是として「去華就實」を掲げ、今日に至っています。
 かねてからこの成句の誕生は・・・と心がけていましたが、この度、岡山の就実学園の石田先生から頂いた資料に導かれながら、再び去華就實を考え直してみました。
 
『去華就實』再考 ~その原典について~
     
 宮島醤油の応接室にお客さんをお通しすると、「いいお部屋ですね、落ち着きますね・・・」とおっしゃって楕円形のテーブルにつかれる。
 この応接室の小笠原長生(唐津藩士長国の嗣子)の書、「去華就實」の扁額が静かにわれわれを見守ってくれている。
 「『キョカシュウジツ』」と読みます」と説明すると「いい言葉ですね」と頷かれる。


為 宮島大人 小笠原長生 書
     
一、「去華就實」と戊申詔書
 「去華就實、華やかなものを去り實につく」という意味である。その出典は戊申詔書といわれてきた。
   日露戦争に勝ったと思い込んでいたが、日時が経つにつれ軍事費を調達した外債(外国からの借入れ)の返済や、特別税の負担は大きく、経済界も疲弊、労働争議も多発、国民の間には「軽佻浮薄」の気風が生まれていく。  
 このような社会的不安を戒めるべく、明治41年「戊申詔書」が発布される。その中の「宜ク上下心ヲ一ニシ忠實業ニ服シ勤儉産ヲ治メ惟レ信惟レ義醇厚俗ヲ成シ『華ヲ去り實ニ就キ』」に由来するものであると解釈されている。
二、去華就實と唐宋八大家文読本
 しかしながら、この成句には原典があるのではと漢和辞典その他気を付けながら、ここ十数年を過ごしていたところ、3ヶ月前に就実学園に勤められている石田省三先生から当社社長へお電話を頂き、さらに「去華就実の由来と展開」との研究論文まで恵贈賜った。私の積年の疑問を解消することができた。厚く御礼申し上げますとともに、ここに紹介させていただきます。
 去華就實の出典を研究されたのは、芳村弘道先生(前就実女子大学教授、現立命館大学文学部教授)。その論文によると、この言葉は中国は清の時代の詩人「沈徳潜(1673-1769)」撰の「唐宋八大家文読本」の原序にあるとのこと。
(「去華就実」の由来と展開 石田省三 著 より転載)
 
   この読本は、将来「文」を学ばんとするものの「読本(教科書)」として、唐宋の8人の文章から撰び、編集されたものである。  
    その8人とは唐の韓愈、柳宗元の2人、宋の欧陽脩、蘇洵、蘇軾、蘇轍、曾鞏、王安石の6人。いわゆる古文の粹とよばれる名文をあつめたものである。  
 これを発行するにあたり、編集者、沈徳潜は自ら序をしたためている。
 その中に「去華就實」の原典がある。その序には、いわゆる唐宋八大家の文は美辞麗句をつらねた文体のため、醇朴と雑駁が交わっている。この8人の大家とは別に、宋には5人のすぐれた文人、五子がいるので今からの学者たちは、この宋の五子の純粋な儒家思想に富んだ書を学ぶべきとの説がある。
 この意見に対し、読本の編者沈徳潜はこう答えている。
 「宋の五子の書は、例えば秋實なり。唐宋八大家の文は春華なり。天下春華に騖りて、秋實を棄つる者無きも、亦、即ち春華をすてて秋實を求める者もなし、それはいずれも大切だからである・・・中略・・・(今から学ばんとする人は)みな当然(資料)を集め、調べて、すべてわがものとしなければならない。文を学ぶ人々よ、どうか心を究めて勉強されたし」と序のまとめとして後学の士にエールを送っている。
三、去華就實の意味
 以上、「去華就實」という成句がこの読本の序の中から生まれたと推測されるのは、幕末から明治にかけて、当時の漢学者たちがこの読本で勉強したからであろう。
 ただ、この読本の文章の流れからみて、「去華就實」の華は春の花華の意味であり、「春の華が終わったら、秋には實が就く」という自然の推移のことで、華も実もいずれも大切であることを叙述しているが、それに対し戊申詔書の「華ヲ去り實ニ就ク」の華は華美を意味し、石田先生は「断章取義」のきらいがある、と表現されている。
 しかし、原典出処は別として、去華就實がひとり立ちし、「華ヲ去り實ニ就ク」という成句になったのは、日本が日露戦争を終え、疲弊し思想的には不安的な時期に、もう一度儒教的倫理観を思い出そうということであったのだろう。
四、去華就實と四庫全書
 去華就實の出典について、さらに石田先生の資料に、芳村弘道先生が「四庫全書」の中から新たに19の使用例を見つけられたとあった。その中の1例を、石田先生の資料からお借りする。
 
余靖「武渓集」巻五、「詔亭記」(北宋の時代、11世紀中期の著)
 太守曰、吾以敦朴化人、無事於侈、可去華就實
 (大志曰ク、吾敦朴ヲ以テ人ヲ化シ、於侈ニ事無シ、華ヲ去ッテ實ニ就ク可シ)
 吾、人ヲ教化スルニハ、華ヲ去ッテ實ニ就ケバ奢侈(身分不相応なぜいたく)になることはない。
 
 この例からみると、去華就實は約1000年前の紀11世紀の中頃までさかのぼることになる。
 たまたま、現在、九州は太宰府において台北国立故宮博物院展が開催されているが、その中で、「四庫全書」が展示されている。早々に、太宰府に足を運ぶ。
 「四庫全書」とは清の乾隆年間(1736-1796)の制作、300人以上の学者が10年間にわたって動員され、中国で刊行された重要な書物の大部が網羅された中国最大の叢書(いわば、漢語漢文の大百科事典とでもいえる)。
 あらゆる書類が経(儒教の経書)、史(歴史)、子(思想書)、集(文学書)の4つのジャンルに色分けされている。
 収録数は3462種、79,582巻、総字数は7億余、ガラス越しながらも4色に色分けされた表紙、7~8棚2列に箱に入っている。スライドの説明では素晴らしい筆字に感動、莫大な資料のほんの一部であろうが、「去華就實」の成句をこの中から19例、発見された芳村先生に敬服しつつ、しばらくの間鑑賞する。
四庫全書
(写真提供:九州国立博物館
五、むすび
 「去華就實」わが社の社是、精神的な基盤として、言い続けてきた。再び読み返す機会を作って頂いたお二人の先生に敬意を表しつつ、この去華就實の歴史の一端を垣間見ることができたことに感謝しつつ、筆を擱く。
参考文献:
  「『吉備地方文化研究』 第21号 『去華就実』の由来と展開」
    石田省三 著 就実大学吉備地方文化研究所
 
「新釈漢文大系70 唐宋八大家文読本一」 星川清孝 著 明治書院
   九州国立博物館 季刊情報誌 Asiage vol.34