【日光街道 北行】
1区  日本橋〜浅草
 
 「走らんか!」とは、九州の方言で「走れ!」という意味である。博多祇園山笠を題材にしたこのタイトルのNHK連続テレビ小説が1995年に放映されたため、博多弁で、しかも山笠の関連で使われている印象が強い。優しく「走らんか〜?」と語尾を上げれば、「一緒に走りましょうか。」といった意味にも取れるが、本企画の場合は、陸上競技部の鬼コーチという役回りの編集委員が、選手である私に対して「とっとと走れ!」と命令している状況を表現している。
 
 
 国道1号(東海道)をはじめ、主要な国道の起点である日本橋から出発する。現在の橋は1911年に架けられたもので、今年で100年目だそうだ。橋桁の獅子は東京都の紋章を盾として手をかけている。   
 橋のたもとには、宇都宮まで107kmとの里程標あり、これくらいならひとっ走り×4日くらいで走れそうだが、急がずのんびりとスタートする。基本的には国道4号に沿いながら日光街道の旧道をたどることにして、北東の方角浅草を目指す。 
 
 
 最初から言い訳だが、「走らんか!」のタイトルにもかかわらず今回は走っていない。というより、都心の繁華街で歩道を走るのは、密集する敵陣の中を突進するラグビー選手の覚悟がなければ無理である。おまけに、目についた史跡やら記念館の案内板の類でいちいち立ち止まって寄り道してしまうので時間ばかりかかってしまう。
 
 
 日比谷線小伝馬町駅近くの十思公園一角は、かつて小伝馬牢屋敷のあった跡である。牢屋敷は、刑が未決の者を留め置くための施設であり、死罪となれば牢屋敷の一角の“切り場”で切られるか、見せしめのため南の鈴ケ森か、北の小塚原(こづかっぱら)の刑場まで引き廻しのうえ処刑されていた。
 毎年百人を超える人がこの地で処刑されたとされており、その霊を慰めるため公園に隣接する大安楽寺に設けられた延命地蔵に向かい、合掌する。そんな暗い過去のある土地であるが、訪れたのが晴れた日のちょうどお昼時だったこともあって、休憩する人たちでのんびりまったりとした雰囲気であった。  
合掌
 
 井伊直弼による安政の大獄(1858年)において、吉田松陰(1830〜1859年)もここに捕えられ、処刑された。吉田松陰は長州藩萩の生まれで、松下村塾(しょうかそんじゅく)を開き、幕末から維新にかけての偉人、伊藤博文、高杉晋作、山縣有朋などの師であった。公園内に、辞世の句“身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまじ 大和魂”を記した碑がある。享年30(満29歳)。29歳か・・・20歳代で歴史に名を残す功績をあげた松陰に比べ、私・・・(略)。
 
 山口県萩市は、吉田松陰に代表される歴史ある町であるが、ランナーにとって萩といえば、萩往還(はぎおうかん)である(佐賀のお菓子は小城羊羹(おぎようかん))。萩往還とは、山口県を南北に縦断する江戸時代の旧街道だが、この名を冠して街道を走る大会が毎年5月に開催されている。全長250kmを、48時間の制限時間内にわずかな仮眠しかとらずに走り切るという過酷な大会だ。まあ普通の感覚では、何が楽しくて走るのか理解不能、非常識としか思えないもので、私には体力的に困難、いや仮に体力は鍛えたとしても根性的に無理である。そんな大会を完走した人を私は数人知っているが、その一人はF銀行でかつて当社を担当していたK課長である。身近なところに変人、いや尊敬に値する人物がいたものだ。
 
 話がそれてしまったが、ここ牢屋敷跡から北へこれから進む道は、裁きにより死罪となった囚人が刑場へ向かう道でもある。千住にある小塚原刑場跡まで、「市中引き廻しのうえ打ち首獄門にいたす!」と判決を受けた気分はどんなものか、とぼとぼと進もう。
 
 
   馬喰町を通り、東京湾を周遊する屋形船が停泊している浅草橋を渡る。
 このあたりの街道沿いは、江戸の町の特徴が都会になった今もなお息づいている。
 今はどこへ行っても、駅前には全国チェーンのハンバーガーショップ、居酒屋、サラ金の看板があって特徴がないのが当たり前だが、日本橋室町は近代的なビルになったとはいえ製薬会社が軒を連ねているし、馬喰町の繊維衣服街、浅草橋の人形屋さん、昭和時代が残るおもちゃ屋さんの数々、それ以外にも和紙屋さんと和紙の史料館、紐屋さん、お店の装飾用品屋さんなどなど、それぞれに町の味が出ていて飽きない。
 
 突然遊園地に迷い込んだのではなく、駒形にあるバンダイさんの本社前である。子供たちを喜ばせることを第一に考えていたら本社ビルもこうなったということか。手前からアンパンマン、次は何だっけ、ドラえもん、ウルトラマンと続いて、ビルの前を通るだけでなんとも楽しくなるではないか。すばらしい企業姿勢に軽く感動する。  
 
 
 日本橋から浅草を目指して北上し、折り返すのは東京マラソンのコースの中盤である。東京マラソンは出場希望者が多くて、抽選(今年の大会は10倍近い競争率)に当たらないと出場できないのだが、私は2008年の大会のみ参加できた(ちなみにその時の記録は4時間02分)。このあたり、駒形の27km地点付近でタレントの猫ひろしにあっさりと抜き去られたのが悔しい思い出である。
 
 有名な浅草雷門。浅草寺にお参りをしたところで日も傾いてきたので、本日はあっさりと終了して2区へ続くことにする。
2011年2月
参考文献:宮部みゆき 著 「平成お徒歩日記」 新潮社
 
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