【日光街道 北行】
8区  栗橋〜古河
 
 メダカが泳ぐきれいな池に睡蓮が咲いていた。かわいい葉はまるでパックマンが群れているようだ。
 場所は本日のゴール、古河市の篆刻(てんこく)美術館。篆刻とは、印章を芸術として高めたもので、館内は撮影禁止だったが、中庭なら許されるだろう。
 
 
 栗橋駅近くに静御前(しずかごぜん)の墓がある。愛する源義経が奥州平泉に下ったのを追って旅をする途中、義経死す、の報に接し、悲しみと疲れからこの地で病に倒れ、亡くなったという地元の伝承によるものだ。
   きれいに手入れされ、生花が供えられているところに、郷土の歴史を大切にという思いが感じられる。なお、静御前の何十代か後の子孫が、ドラえもんに登場するしずかちゃん(本名は源静香なのだ)であるという説を私は信じる。
 
 
   雄大かつ水量たっぷりの利根川を渡ってやっと埼玉県を抜ける。ずいぶん長いこと埼玉県を走ってきたが、これでいよいよ栃木県かと思いきや、茨城県古河(こが)市である。地図が頭に入ってないとすんなりとは理解し難いが、街道はほんの少し茨城県に入って進む。
 
 ここは茨城県なのだということを、外来者にはちゃんと理解してもらわないと困る、と県の関係者は思っているのだろうか、歩道の溝のふた1枚1枚に茨城の茨マークがごていねいに入っている。下を向いていると、茨・茨・茨・茨・・・と茨の呪文が頭の中をぐるぐる回る。ここは茨城県だぞ、茨・茨・茨・・・。埼玉でも栃木でも千葉でも群馬でもないぞ、茨・茨・茨・・・が延々と続く。これぞ茨の道。
 
 
 今年の夏はグリーンカーテンと称して、ゴーヤや朝顔を育てる家庭が多かったが(宇都宮工場でも育てました)、これほど見事なカーテンならぬ緑の壁は初めて見る。街路樹かとも思ったが、個人所有の木なのだろう。それにしても家の大きさに合わせて、よくぞここまで立派に剪定して育てたものだ、と感心する。しかし、実際のところどうなのだろうか、少々うっとうしくはないか。  
 
 
   こちらは、まだ成長途上の並木。ゆったりとした直線道路に、街路樹としては珍しい松が植えられている。かつての中田松原という松並木が戦時中に伐採されたままになっていたが、最近になって再び植林されたものだ。埼玉の草加松原もそうだったが、歴史の趣を復活させようという取組みが各地でなされている。
 それはともかく、直線道路をひたすら進むというのは、精神的になかなかつらいものがある。
 
 
 市街地に入り、せっかくなので古河歴史博物館と篆刻美術館に立ち寄る。当地の歴史をさほどの熱意もなく眺めていたら、古河藩の藩校である盈科堂(えいかどう)はもと唐津藩主の土井利実が創設した、という説明を見つける。
 帰宅後、あわてて唐津検定公式本「唐津探訪」を確認すると、たしかに唐津藩主であった土井家は下総・古河へ転封(てんぽう)、とある。転封とは、幕府の命令で大名の領地を他の土地へ移すことであり、唐津藩は有力な譜代大名が何代かおきに転封しながら藩主をつとめている。現代社会で例えると、東京本社の意向で唐津支店長は定期的に交代し、これが出世コースになっていたということだ。
唐津検定公式本
「唐津探訪」
 教育に熱意を持っていた土井氏は、唐津で藩校盈科堂を設けたのち、古河へ移るとともに当地でも同じく藩校を開いたのである。何の縁もないと思っていた古河だが、唐津とこのような関係があったのだった。
 
 
 古河宿本陣跡の石碑であるが、横には場違いな洋風レトロな電話ボックス、その後ろにはもっと場違いなフィリピンパブとキャバクラがある。いや、逆の立場からは、石碑こそが場違いなのだと反論されるだろう。  
 
 
 本日の走行距離は10kmほどだったが、残暑厳しく、なによりも直射日光を遮るものがない道を進んだので、結構な体力を消耗した。
 名物という鮒の甘露煮を買い、町おこしのB級グルメ七福カレーそばを食べて、古河駅から帰宅する。たまたま同じ車両で、世界陸上に出場した埼玉県の公務員ランナーを見かけた。市民ランナーの星、健闘を祈る。
 
2011年9月
参考文献: 「唐津探訪」 唐津商工会議所  唐津検定ホームページ
 
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