【日光街道 北行】
11区  小山〜小金井
 
   小山市街には小山城や数多くの歴史ある寺や神社があるのだが、申し訳ないが素通りさせてもらって先を急ぐ。しばらく行くと、日枝神社参道に立つ樹齢400年以上という3本の大ケヤキに遭遇する。400年以上前といえばちょうど江戸時代が始まる頃で、堂々とした太い幹からは、歴史を生き抜いてきた生命力と風格が感じられる。私のカメラと撮影技術では、この木の威容を十分にお伝えできないのが残念だ。
 「ケヤキ」を漢字で書くという機会はまずないのだが、パソコンで変換すると「欅」という画数の多い字だ。ふだん使うことがない割には、なじみがあるように感じるのは、駅伝の「襷」(たすき)と漢字のつくりの部分が同じだからだな。
 
 
 けっしていつも下を向いて走っているわけではないのだが、路上ではマンホールのふたや歩道の溝のコンクリートブロックが自然と目に入ってくる。マンホールのふたは土地によって違っており、その地の自治体のマークが中心に入っているのが一般的だが、小山市のものは3頭の馬がデザインされている。かつて、馬に乗った武将が活躍していたからなのだろうか。しかし、絵柄からは武将の馬というよりメルヘン的で楽しそうな印象を受ける。
 ところで、あらためて考えると、マンホールというのは、人(man)が入る穴(hole)と、なんとも単刀直入な名前だ。
 
 
 昔の街道のすべてが国道など今の幹線道路になっているわけではなく、国道が別の経路を通っている箇所では街道は消滅していたり、農地や住宅地の中の細い道として残っていたりする。国道ばかりではつまらないので、旧道が残っている所ではそれをたどりながら走ることにしている。
   この道が昔の街道だ、とどうしてわかるのかというと、地図で確認しているからなのだが、頼りにしている地図は国土交通省関東地方整備局宇都宮国道事務所がホームページで公開している日光街道御徒マップだ。堅苦しい名前の役所だが、街道探索者のために親切に情報を提供してくれていて、ありがたい。
 
 そんな細い旧街道沿いの雑木林の中に、盛土をしたような跡があり、これが日本橋から21番目の一里塚、喜沢の一里塚だ。ランナーが1km・5km毎のポイントで通過タイムを確認しながら走るように、旅人は一里(約4km)毎の塚を目印に歩き、あるいは一休みしていたのだろう。
 この一里塚の横にはラブホテルが建っている。なるほど、ここで一休みしなさいとは、うまくできている。では、芭蕉にならってここで一句。
 
    一里塚 むかしも今も ご休憩
    ・・・・・・。
 あぁ。また企業の品位を下げてしまった。
 
 
 脱力している場合ではない。気を取り直してさらに一里進むと、遠くからでも高い樹木が目印として見える22番目の小金井一里塚がある。街道両側の塚がそのまま残っている例は少ないが、街道のすぐ横に国道が開通したために取り残される形で保存された、と説明があり、史跡としてきれいに整備されている。
 ここは小金井という土地だが、この近くには8世紀に聖武天皇により全国に建立された国分寺の一つ下野(しもつけ)国分寺がある。今は町村合併によって下野市となって、小金井も国分寺も自治体の名称としてはなく、JR宇都宮線に小金井行きという電車があるくらいしかこの地名に接することはないのだが、歩道橋に国分寺町小金井という表示が残っていた。
 私は大学時代の4年間、東京都小金井市に住んでいたのだが、その西隣は武蔵国分寺跡がある国分寺市だ。小金井と国分寺という地名が隣り合うという事象が、現在の東京都と栃木県に共通して存在するのは単なる偶然なのか、二つの地名には何かつながりがあるのか、少し調べたのだが、満足できる答は見いだせなかった。私なりに考えるに、小金井(きれいな湧水が出る所、すなわち住みやすい所)の近くに国分寺(その国の中心となる建物)を建てた、ということではないだろうか。
 
 
 小金井宿で呉服屋、煙草屋さんだったらしい旧家が国道沿いにあって目を引くのだが、地震には耐えられなかったようで、痛々しい姿になって危険防止のパイプが組まれている。
   補修できるのか、取り壊しが始まるところなのかわからないが、この建物以外にも、すぐ近くには明らかに形が歪んでしまった蔵があるなど、歴史ある建物が大きな被害を受けているのは残念である。
 心を痛めつつ、JR宇都宮線自治医大駅に到着してまた次回へと続く。
 
2012年1月
 
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