【日光街道 北行】
16区  宇都宮~徳次郎
 
 前回ゴールした宇都宮工場について少しだけ書いておこう。おそらくどんな工場にも組織の目標やスローガンがあると思うのだが、宇都宮工場内に掲示されている工場目標には、昨年から“AKB活動”という項目が入っている。これは、アイドルグループをみんなで応援しようというわけではなく(それはそれでも良いのだが)、A:当たり前のことを、K:きちんと、B:馬鹿にしないでやろう、を略した行動目標である。こんなものが工場目標とは不真面目だ、と思われるかもしれないが、工場運営や品質管理の本質を簡潔に、かつ誰もが覚えられるように表現した秀作ではないか、と気に入っている。
 
 
 さて、宇都宮工場で終了とはならず、とりあえず日光へ向かって走り出す。宇都宮地方裁判所の近くに車を置いて、奥州街道と日光街道が分かれる追分、伝馬町から清住町通りを北上する。
   やがて、前々回走った環状道路(宮環)との交差点を横断する。宮環一周では写真の右手から左手へ走り抜けたが、日光へは直進する。正面に見える緑がここから始まる並木道だ。有名な日光杉並木はまだまだ先に進まないと始まらず、まずは桜並木なのだが、いよいよ日光街道らしくなってきた。
 
 
 日本橋から数えて28番目の上戸祭一里塚が道の両側に残っている。日光まではあと8里だ。後方に見える建物はどこにでもあるような集合住宅だが、建物の名称が“1mile”である。1里=約4km、1マイル=約1.6km(航空機のマイルはまた距離が違う)なので、一里塚にちなんだ名前としては厳密に言うと適切ではないなのだが、すばらしい命名センスにまいる。
 
 街道は車道を挟んで両側が一段高くなっており、そこに並木と歩道がある。交通量の多い車道から区分されているので走りやすく、日陰になっていて心地よいのだが、民家の出入口や交差点に差しかかる度に、いったん下りてまた上ることを繰り返さなければならない。たかだか1~2mの高低差だが、アップダウンを繰り返すと結構なトレーニングになる。
 江戸時代は今の車道部分を歩いていたわけだが、当時はこれほど道幅は広くなかっただろうし、並木にこれほどの盛土はなかったのではないだろうか。たぶん樹木を保護するためにこういう形になったのだと思うが、次回以降、本格的な杉並木に入ったらまた調べよう。
 
 
 童話の世界で裸の王様が住むお城をイメージするとこんな感じだろうか、という建物が突然現れた。案内板によると第六号接合井という近代産業遺産である。上流の浄水場から下流まで全長26km標高差240mにわたって水を流すにあたって、そのまま管をつなぐと下流の水圧が高くなりすぎるので、調整するために途中6ヵ所にこのような設備が設けられ、この一基だけは当時の姿のまま残っているとのことだ。なるほど。
 
 
 街道沿いには空家になった元民家や、閉店した元飲食店や、廃墟となった元パチンコ店が目立つ。車で日光へ向かう観光客の多くは並行する有料道路(日光宇都宮道路)を走るだろうし、この沿線が衰退していることがわかる。日光街道をとぼとぼ進むのはよほどの物好きしかいない。
 
 本日の終着点、徳次郎宿に到着する。徳次郎と書いて“とくじら”と読む。しかし、そうはなかなか読めないので、行政はたいへん親切にも(もしくは余計なお世話で)町名の読みを“とくじろう”と変えて定めている。したがって、歴史的には“とくじら”なのに今は“とくじろう”が正しいという変な状況になっている。
 中徳次郎バス停からバスで今日のスタート地点まで戻ったのだが、同伴者が車内アナウンスに鋭く反応して、「とくじら、と言っている。」と指摘した。たしかにアナウンスは、「次は、下徳次郎(しもとくじら)」と言っている。やはり、お上が何と言おうが地元では“とくじら”の読みが定着しているようだ。
 なお、弊社の監査役の名前は徳三郎である。関係ないか。
 
 
 スタート地点まで戻ってから、今度は車で少しだけ再度日光街道を走る。実は、途中で見かけた焼き物とお菓子のお店が気になったが、荷物を増やしたくないので素通りしていたのだ。あらためて立ち寄って黄鮒(きぶな)の土産を購入した。黄鮒とは、黄色の鮒を食べたところ疫病が治ったという宇都宮の言い伝えに基づくもので、市内にはきぶなバスという循環バスも走っている。黄鮒の、鮒らしくない丸っこい形は唐津くんちの鯛と同じようにかわいい。
左から宇都宮の黄鮒もなか、唐津くんちの鯛、甘鯛(拙筆)
 
2012年6月
 
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