【日光西街道 南行】
22区  鹿沼~楡木
 
 鹿沼名物は鹿沼土とさつき、それにこんにゃくが名産らしく、直売店を何軒か見かけたが、文化面では彫刻のまちであった。彫刻は、日光東照宮に関わった彫物師たちがこの地に技術を残したものが伝承されているとのことで、日光を頂点とした文化が、周辺の街にもしっかりと根付いていることに感心する。
 2013年新春早々、宇都宮の最低気温は氷点下6度、という気象情報に少々戦意をそがれつつも、正月の怠惰な気分を振り払うべく、新鹿沼駅から出発する。
彫刻屋台展示館のレリーフ
 
 
 鹿沼市内の小さな神社に寄ってみる。猿田彦神社というのだが、ごくごく近所の人しかお参りしていないに違いない寂れた神社だ。傍らに、街道沿いでもう何度も見かけた馬力神と馬頭観音の碑が立っていて、碑の裏側には、支那事変で徴用されて死んだ馬の供養という趣旨のことが記されている。
 正直に言うと、この時点で私は、支那事変(日中戦争)と馬の供養との関連をよく理解できていなかった。中国大陸での戦いに、日本の馬がどれだけ関わったのかを知らなかったからなのだが、調べてみて自分の無知を恥じることになった。戦争に際しては、50万頭前後もの多くの馬が徴用されて大陸に送り込まれている。そして、その多くは輸送中や戦いの中で命を落とすか、生き延びたとしても戦いの終結とともに見捨てられ、日本に戻って来たのはわずか300頭ほどだという。
 単に愛馬を弔った碑、と見ていたものにこのような重い歴史があったとは知らなかった。戦いで亡くなった兵士を供養する墓碑はよく見かけるのだが、人と同じく馬を供養する気持ちも大切にしなければと思う。
 
 
 畑の中に古墳らしい盛り上がりを発見したので迷わず街道を離れ、細いあぜ道を進みつつ確信する。これは間違いなく前方で五円踏んだ。違う!前方後円墳だ。案内板によると、7世紀前半につくられた判官塚古墳とのこと。けっして大きくはないが、周囲に遮るものがなく、これほど形が整っていてわかりやすい古墳は貴重なのではないだろうか。


 ところで前方後円墳とは、前方(前の四角形)と後円(後ろの円形)の二つがつながった形の古墳という意味で名付けられているが、私は、その逆で前が円で後ろが四角と見るべきではないかと、歴史の授業で習って以来ずっと疑問を抱いている。
 
 
 街道は奈佐原宿、楡木(にれぎ)宿を通って、次の壬生(みぶ)宿へと続くのだが、本日は中断というか寄り道をして東武日光線沿いへと戻る。途中で渡る思川の橋上から眺める日光の山々は、雪が降っているのか雲に霞んで寒々しい。ちょうど特急列車が鉄橋を渡るところで、おっ、なかなか鉄道写真マニアっぽい写真になったぞ。
 
 
 今年はへび年だけに、蛇足をひとつ。街道沿いの神社にお参りするうちに、神社によっていろいろな狛犬がいることに気付いて、狛犬愛好家になりつつあるのだが、正月の三社参りで珍しいものを発見した。
 自宅の近く、柏市船戸の天満神社なのだが、狛犬は歯が命、とばかりに矯正したうえにホワイトニング処方を施したような見事な歯並びである。そして足元では子犬を踏んでいる。我が子を踏みつぶしてでも俺は頑張る!と言いたげなのだが、そんなことで良いのか。いや、参拝に来られたお客様にはちゃんとお辞儀をしなさい、と頭を押さえて躾をしているのか。
 
 もうひとつ付録を。これは今回の終着点、東武金崎駅に向かう途中で見かけた石像なのだが、招き猫ならぬ招き蛙である。お腹の“福”の字が正月らしくめでたくて、なかなか縁起がよろしい。
 おっと、これは付録と書きましたが、蛙はfrogでしたね。
 
2013年1月
参考文献:軍馬の戦争 土井全二郎著 光人社
 
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