【醤油の産地へ 北行】
42区  古河~板倉
 
 醤油の産地を目指した旅は野田に到着したので一段落、と休む気はさらさらなく、本日は日光街道の途中で通過したことのある茨城県古河から出発し、ただし街道からはそれて北西方向へ進む。
 出発してすぐに渡良瀬(わたらせ)遊水地に入る。ここは大雨が降った時に一時的に水を貯めて洪水を防ぐための土地で、古くは徳川家康が利根川の流れの向きを変えた利根川東遷にはじまり、明治から平成まで続いた治水工事によって完成している。水をたたえた谷中湖と、その周囲に普段は湿原だが洪水時には水を貯める調整池があって、とにかく広い。広さは33平方キロメートルで、こういう場合マスコミでは、東京ドーム(関西では甲子園球場)何個分と表現することがお決まりだが、ここで野球場何百個分の広さと言われたところで実感はわかないだろう。この日、広さを否応なく実感させられるのは、風の強さだ。見渡す限り風をさえぎるものが何もないので、上州名物のからっ風は勢いを増し、渡良瀬は簡単には渡らせないぞとばかりに、容赦なく行く手を妨害する。
 広大な池と湿原はなかなかすばらしい風景で、ついつい自然の景色だと思ってしまうのだが、これは治水工事によってできたものであって、ありのままの自然ではない。自然の美しさと、よくぞこんな大きなものをつくったという人の力を両方目のあたりにして少し感動する。
 渡良瀬遊水地は、足尾銅山による鉱毒の歴史を伝えている側面があることも忘れてはならない。明治時代に遊水地工事が始まったのは、上流の鉱毒が洪水によって流れ出したことがきっかけになっている。工事によって一つの村が無くなったのだが、橋を渡ったところに、その谷中村役場跡がある。案内板には、豊かだった村が消滅に至るまでの経緯が、無念でならないという感情あふれる文章で記されている。鉱毒問題の先頭に立って尽力したのが田中正造で、私は日光街道の小山市を走る途中の24区で彼の生涯を伝える展示を見たことがあるが、実は彼は千葉県の小金牧の解放運動にも関わっていたことを、最近柏市の歴史企画展で知った。
 湿原ではヨシ原による水質浄化が行われており、草丈2mほどに育ったヨシが見渡す限りというか、遠くが見渡せないくらいに続いている。ヨシ原と書いてあるからヨシに違いないのだが、アシ(葦)とはどう違うのだろうか、と疑問に思って調べてみるとアシとヨシは同じ植物なのだった。アシは“悪し”につながるからヨシ(良し)と名を付けたとのこと。そんなに語感を気にしすぎるのもよしあしだと思うのだが。
 ヨシ原のそばにある展望台に登ってみると、晴れた冬空のおかげで遠くまで見通せた。北に日光連山、東に茨城の筑波山、そして南西遠くに富士山、と3つの名山を同時に見ることができて満足でありました。
 本日は茨城県から出発して途中埼玉県、栃木県を経由して群馬県の板倉東洋大前駅に到着した。と書くとたいへんな距離を走ったように感じられるが、4県の県境が入り組んでいる地域を巡ったためで、距離的にはそれほどでもない。
 今日のコース上で、遊水地の土手にこんな注意書きが立っていた。ランニング中にはいろいろな動物に遭遇するし、私も道路を横断している蛇に出会ったことはあるのだが、ここはほんとうに危険地域らしい。
 危険といえば、交通安全には十分注意して走らなければならないのだが、先日こんな道路表示に出会った。
 「言われなくても止まるわ!!」
2014年12月
 
今回の走らんか!スポット

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