【醤油の産地へ 北行】
46区  天王台~取手
 
 柏市にあるカタクリ群生地で今年も花が咲いているという。これまでカタクリという植物を意識して見たことがなかったので、行ってみる。
 小麦粉は小麦から、そば粉はそばからできている。しかし、片栗粉はカタクリからできていない。たしかに、昔はカタクリの鱗茎という地中の部分から作っていたのだが、今は違う。原料が切り替わるきっかけには、こんなニュースがあったのだろうと想像する。
 『調べによると、片栗粉製造業者の肩凝容疑者は原料の片栗が手に入らなかったため、じゃがいもから澱粉を製造し、これを片栗粉と偽って販売した疑いが持たれています。警察はカタクリボッタクリ罪の容疑で調べを進めています。』
 と書くと食品の偽装表示事件になってしまうのだが、おおらかな時代のことで、原料が変わっても片栗粉という名前が一般に定着して現在に至っている。
 この日は天気が悪かったためか、少し時期が遅かったのか、花が下を向いて元気なさそうに見える。小麦粉やそば粉は、麺に加工されて食卓の主役になるのに、片栗粉はどんな料理でも脇役だ。それと同じように、カタクリもひっそりと慎ましく咲いている。カタクリは1年のうち春先の2ヵ月ほどしか地表に顔をみせず、あとは地中に隠れている。成長が遅いので芽が出てから花が咲くまでには8~9年もかかるという。そんなに時間をかけて地道にこつこつ育ったものを、食物の原料としてごっそり収穫してしまってはかわいそうだ。片栗粉の原料はこれからもじゃがいもにお願いしよう。
 このコラムの39区で、千葉県は利根川と江戸川によって本州から切り離された「島」である、と書いたが、厳密にはそう単純ではなく、県境はけっこう入り組んでいる。今日これから向かう先は、かつて曲がりくねっていた利根川を直線的に改修した場所なのだが、県境は昔の流れの通りに曲がったままなので、茨城県の一部が川を挟んで千葉県側に取り残されている。
昔の利根川(古利根沼)
 改修で切り取られた昔の利根川は、古利根沼として今も残っている。これはこれで立派な沼というか池というか想像以上に大きなもので、かつては川だった存在を主張している。名前は知らないが野鳥が、そして白鳥がのどかに水面を進んでいる。
 川を挟んで千葉県側に残された茨城県の人たちが、茨城県側と行き来するための足として、明治時代に始まった小堀(なぜか、おおほりと読む)の渡しが今も運行されていて、昨年2014年が100周年だったと説明書きがある。
 35区で東京都から千葉県へ江戸川を渡るときに乗った矢切の渡しは、船頭さんがぎーこぎーこと漕ぐ手漕ぎの舟だったが、こちらは小型ながら動力付きだ。一日7便あるうちの11時小堀発、取手緑地運動公園駐車場前経由、取手ふれあい桟橋までを利用した客は、取手市内に住んでいるというおばあちゃんと孫の男の子、私と同伴者の計4名。のんびりとした船旅のひと時はなかなか心地よいもので、水面に映る鉄橋がゆらゆらと揺れている光景は、水上からでないとみられない非日常的経験で新鮮だった。
 この渡しが、生活の足として今どれだけ使われているのかは疑問だが、どうかずっと続いてほしいものだと思う。
 利根川を渡ると茨城県の取手市、かつての水戸街道取手宿に入る。宿場で大名が泊まったり休んだりするための建物を本陣といって、今ならばVIPが宿泊するホテルだが、当時は地元の名士宅が指名されてその役目を果たしていた。これまで街道を歩いて多くの宿場を通過し、宿場町の雰囲気など何もない所、本陣跡の石碑のみが立っている所、本陣の建物がそのまま残っている所などを見たが、その中でここ取手の本陣が一番立派に復元されている。一般公開されているので座敷に上がらせていただいたが、水戸徳川家代々の殿様がここに泊まったのだと思ってくつろぐと、おそれ多くも少しだけ殿様気分になるのであった。
 ところでこの本陣の主である染野家は醤油醸造家で、この建物の裏に醤油蔵があったと案内がある。昔の醤油屋の多くはその地域の名士であり資産家だったが、ここ取手の染野家もしかり、風格ある落ち着いたお屋敷だった。
2015年4月
参考文献:「身近な野の草日本の心」 稲垣栄洋著 ちくま文庫
 
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