【醤油の産地へ 東行】
54区  六実~鎌ヶ谷
 
 先月に続いて、野馬土手を目指して走る。あらためて説明すると、野馬土手とは、江戸幕府が軍馬を安定的に確保するために設けた牧の周囲に、馬が逃げ出さないよう築かれた土手のこと。今の千葉県北部にあって、当時は全長140ないし160kmあったと言われているが、現在も所どころに残っている。
 最初の目的地は鎌ヶ谷総合病院だが、ここにはけっこう長い土手が、病院の広い駐車場と住宅地の境界として残っている。こんなものを見て何が楽しいのか、と思われるかもしれないが、それは歴史が好きだから、あるいは馬が好きだから、はたまた土木構築物が好きだから、のどれか、あるいはすべてだ。
 ところで、広大な牧に放し飼いにされている馬を幕府に供出するためには、捕まえなければならない。そのために、高い土手で囲った狭い区画に馬を追い込んで捕まえる、捕込(とっこめ)と呼ばれる設備がつくられた。鎌ヶ谷市には、唯一現存する捕込があり、国指定史跡になっている。
 国が指定している史跡とはいえ、その入り口は民間の駐車場の奥にひっそりとあって、知っている人でないと絶対に気が付かない場所にある。区画の中に入ると、高さが4~6mほどもある土手が周囲にあって、これでは馬は逃げられないと実感する。よくぞ今まで残されていたものだと思うが、これでも施設のほんの一部だけなので、すべてが残っていれば、と惜しまれる。これに関心を持つ歴史好きで、かつ馬好きで、しかも土木構築物好きの人がもっと多ければ、と思う。
 近くの貝柄山公園には当時の馬を模した像がある。親馬の体形は、背より爪先まで4尺6寸(約1.39m)と解説がある。テレビの時代劇に登場する馬は大きすぎて、事実と異なる、と指摘されることがあるが、その通り、サラブレッドより小柄だ。
 日本古来の馬は、農耕や運搬で人の生活向上に貢献し、あるいは軍馬として戦の犠牲にもなった。当時の人々が、亡くなった馬を弔って建てた馬頭観音が各地にあって、街道沿いにあるものを私も多く目にしてきた。今、馬といえばサラブレッドが競馬場や乗馬クラブにおり、ポニーが遊園地に、シマウマが動物園にいる。では日本の馬はどこへ行ってしまったのだろうか。牧場の土手は残っていても、馬が消えてしまっているのは寂しいものだ。
 鎌ヶ谷大仏へ向かう途中で少しだけ脇道にそれ、江戸時代には野馬の水飲み場だったと思われる池の横を通る。今は何の変哲もない調整池になっていて、歴史を感じられるものはない。が、がっかりする間もなく、その隣の小さな公園で奇怪なすべり台を発見する。馬ではなさそうだが象でもなく、宇宙生物のようだ。
 これに対抗できる遊具として、弊社福岡営業所の近くにある公園の、巨大亀すべり台を思い出したので、関係ないが写真を載せておこう。
 鎌ヶ谷には大仏がある。大仏とは言っても、サイズ的には謙虚なものなのだが、大仏様のありがたさは、像の大きさに比例するものではない。この近辺には鎌ヶ谷大仏駅をはじめとして、居酒屋大仏、大仏整形外科、そば大仏庵、大仏コンタクトなど、大仏の名があふれており、地域の人々に愛されている様子は奈良や鎌倉に勝るとも劣らないようだ。
 大仏向かいの八幡神社には、庚申塔の石碑がずらりと並んでいる。百庚申と呼ばれていて、実際に100基あるらしく壮観なのだが、それはともかく、鎮座している狛犬のヘアスタイルが、かつてやんちゃな若者の間で流行した、リーゼントヘアであることに眼を奪われたのであった。
2015年12月
参考文献:「野馬土手は泣いている」 青木更吉 著 崙書房出版
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