【醤油の産地へ 東行】
57区  千葉ニュータウン~木下
 
 県や市の境界はどうやって決まっているのか。唐突にそんなことを話題にするのは、地図を見ていて千葉県白井市と印西市の複雑な境を見つけたからだ。きっとここには人工的につくられた何かがあって、その何かに沿って境が決められたに違いない。では、何があるのか実際に行って確かめよう。わざわざ行くまでもなく、地図を見ればそこに薬局があることはわかるでしょう。と、そんな問題ではない。
 このあたりは江戸時代に馬を飼っていた牧があったのだから、この奇妙な形は牧を囲った土手に沿っているに違いない。地図の左下から馬を追って土手の間が狭くなった所を通し、三角形の行き止まりの区画に集めて捕まえる。そう思って見ると、そうとしか思えない形をしている。
 ところが前回訪れた白井市郷土資料館で、私の自信満々の説は正しくないことがわかった。江戸時代の牧を描写した屏風図が展示してあって、馬が群れる牧も土手も描かれているのだが、ちょうどこの区画には桜の木と茶屋があって、一本桜、二軒茶屋という地名だったと解説されていた。当時の茶屋の敷地と牧の境がそのまま市の境になったのだと思われる。
 今その場所には薬局があり、石碑が立っている。まわりには微妙な高低差があって、ここに二軒の茶屋があったとすると、この薬局と隣の民家のあたりだろうか、と想像する。昔の人はここの茶屋で一服しながら馬たちを見、春には桜を愛でていたのだろう。今は茶屋の風情はないが、この薬局ではお茶も酒も売っているので、茶屋が担っていた役割は受け継がれている、とむりやり言えないこともない。
 もう少し馬の話を続けよう。亡くなった馬を弔う馬頭観音は各地にあるのだが、今日見かけた石碑には「泉流号」と名が彫られていた。馬の名前が彫られた碑を見たのは初めてだ。ほんとうに大切にされていたのだな、泉流号。
 先ほど述べた白井市郷土資料館には、馬から摘出された巨大な胆石が展示されていた。ソフトボール大で重さが6.8kgあるという。苦しみながら亡くなった馬の死因を探って取り出したのだろう。こんな大きなものが体内にできるとは、結石の経験がある人も今のところない人も一見の価値がある。 
 印西(いんざい)市の木下(きおろし)地区は利根川の水運で栄えていた町だ。太平洋に面した銚子方面から江戸に向かう船は、利根川を上流へ進み、江戸川を経由して目的地へ向かっていた。なかでも急ぐ荷物は利根川途中のここで荷を下し、陸路で江戸までショートカットすることが行なわれていた。きおろしという読みは珍しいが、積荷の木材を下したから、という由来を聞けばなるほどだ。今、水運の役割がなくなった川岸には遊覧船が停泊している。
 JR成田線の木下駅前には煎餅屋さんがあって、店の奥では女性たちが煎餅を手焼きしている。商売柄、醤油の焦げる香りに誘われると店内に入らざるをえない。そして、入ってしまえば気弱な私はそのまま退出することなどできるわけがない。帰りの電車を待つ間に、駅のホームで煎餅をかじることになるのであった。
2016年3月
今回の走らんか!スポット

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