【醤油の産地へ 東行】
65区  佐原~香取
 
 このところ、利根川に沿って東へ東へと進んでいるが、江戸へ向かう水運で栄えていたこの地域は、どこへ行っても醸造業が盛んだったところだ。ここ佐原の川沿いにも正上醤油店の古い家屋が残っている。今はもう醤油づくりはやっておられないようにお見受けするが、店の前には古い甕が積んである。この甕は主にみりんを入れていたものと思うのだが、酒や醤油用にも使われていたのかどうか、申し訳ないが私はそこまで深く調べていないのでよくわからない。役割を終えた甕が今では土塀に使われていたり(流山市にて)花壇に使われていたり(神崎町にて)しているのを見てきたが、ここでは観光客向けにいい雰囲気を醸し出す役を担っている。
 佐原の古い街並みのはずれに、旧三菱銀行佐原支店の建物が町並み交流館として残っている。赤レンガと白い石を積んだ外観は、唐津市にある旧唐津銀行とよく似ている。写真を並べてみると、装飾は旧唐津銀行のほうが凝っているが、素人目には基本的な様式は同じように見える。旧唐津銀行は唐津出身の建築家辰野金吾の弟子で清水組(現清水建設)の田中実が設計して1912年に竣工している。旧三菱銀行も現清水建設の設計施工によって1914年竣工と、どちらもほぼ同時期の建物で、施工主も共通している。
旧三菱銀行佐原支店
(千葉県香取市)
旧唐津銀行
(佐賀県唐津市)
 佐原と唐津に共通することをもう一つ挙げると、佐原の山車(だし)行事と唐津くんち曳山(ひきやま)行事はともに、このたびユネスコの無形文化遺産に登録見込となった「山・鉾・屋台行事」33件に含まれている。
 川沿いに立つ街灯には、祭りの山車をかたどった切り絵風の装飾が付いている。戦国武将や神話の登場人物が多いのだが、浦島太郎の山車もある。唐津くんちにも浦島太郎が登場するので、これも同じだ。
佐原の浦島太郎と亀(街灯装飾) 唐津くんちの亀と浦島太郎
 さて、ここからは香取神宮を目指す。途中で「香取神宮入口」という交差点を通過するのだが、実際の香取神宮まではそこから2㎞ほども走らなければならない。入口といってもまだ遠いじゃないか、と文句を言う人もいるかもしれないが、2kmくらいは許そう。マラソンを走っていて、沿道から「あとたった20kmだよ~」と声をかけられた時の気持ちに比べればたいしたことはない。
 香取神宮を訪ねることには私なりの意味がある。当社の商標は六角形の亀甲の中に“宮”の字を入れた“キッコーミヤ”だが、醤油屋の商標には“キッコーマン”をはじめとして、どうして亀甲印が多いのだろうか。亀は長寿で縁起が良いから、という単純な理由だけではなく、地方ごとに伝承があるようだ。
 古くからの醤油の産地土浦においては、土浦城が“亀城”とよばれていたことに因んだという説があって、そこへは第51区で訪ねた。
 一方、現在の千葉県北部、かつての下総国の醤油屋については、下総国の一の宮である香取神宮の正式名称が“下総国亀甲山(かめがせやま)香取神宮”であり、裏面に亀甲文様のある“三盛亀甲紋松鶴鏡”を宝としていることに因んだからと伝えられている。そんなわけで、土浦城と香取神宮という、亀甲印の由来となったふたつの史跡を巡ることは、このコーナーが単に中年ランナーのブログではなく、醤油会社のホームページに存在することの意味をかろうじて示すための、大切な理由づけなのだ。
 創建は神武天皇の代までさかのぼるという由緒ある神宮だけに荘厳で、なによりも樹齢数百年といわれる巨木の数々の、その高さと太さに圧倒される。神宮全体が小高い台地の上にあるのだが、境内にある説明には、神宮が立つ山が亀の甲羅に似ているから亀甲山と呼ばれたということが書かれてある。すると、亀城と呼ばれる土浦城と亀の由来は同じか。今月は甕と亀で話は終わる。
2016年11月
参考文献:キッコーマン株式会社80年史
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