80区 桶川~鴻巣
桶川宿には中山道宿場館という案内所があって、江戸時代の街道に関する資料が取り揃えてあるのでしばし勉強させていただく。桶川は江戸から10里(約40km)の距離にあって、日本橋を朝に出立した旅人はここで最初の宿をとる者が多かったとのこと。当時の人は現代人よりずっと健脚だったのだ。ちなみに私は日本橋からここまで、じつに8ヵ月を要している。いや、私だってその気になればフルマラソンの距離くらい一日で走りますよ、と強がってみても、それが一日限りではなく、荷物を背負って毎日40km歩くとなると並大抵のことではない。ましてや、長距離走を職業としていた飛脚の人たちはどんな生活をしていたのだろうか、練習日誌ならぬ勤務日報を見せてもらいたいものだ。
かつて商家だった立派な建物が残っているが、特徴的なのは鬼瓦で、温泉マークの湯気のような金属が出っ張っている。“烏おどし”と言って鳥がとまらないようにしたものだそう。同じように針金が突き出たものなら、近所の私鉄の駅にもある。鳥よけという同じ目的なのだから、形も似たようなものだ。
この形状は他でも見たことがあるような気がするのだが、それはまた後ほど。
江戸時代の街道は、今では国道や主要な県道として整備拡張されている区間もあれば、都市開発からはずれて残されている区間もある。その後者にあたる旧道をJR高崎線に沿って進む。道路わきに小さな祠と道標があって、古い地名なのだろう“馬室原”と刻まれていて、かつてはのどかな原っぱだったのだろうと思われる。
ところで、その横で咲いている梅は、一本の木に紅と白の両方の花をつけていておもしろい。このような木を園芸の世界では“源平咲き”と称して珍重するらしい。どうしてこんな木が生じるのか、植物学的には、紅色の色素アントシアニンの合成に関わっている遺伝子の変異によって、紅花と白花が混じった状態になる現象だそう。
鴻巣市に入ると、街道には鴻巣宿と染め抜いた垂れ幕がずっと続いて旅人を歓迎してくれる。観光客らしい女性グループがやけに目につくと思ったのだが、その理由はやがてわかった。
鴻巣は、ひな人形の産地として有名なのだそうで、3月はじめの今日は街全体がひな祭り状態なのだった。鴻巣駅前の商業ビルには巨大なひな人形ピラミッドがある、との案内を見て、せっかくの機会なので行ってみた。ビル3階までの吹き抜けを使ったひな壇ピラミッドは壮観・華麗で、昨年の流行語を使うと、まことにインスタ映えする写真が撮れたのだが、そんな写真をここに載せるのは私らしくないので割愛しよう。
ところで冒頭の話題に戻って、鳥よけのトゲトゲなのだが、たしか、後光がさしたように見えるあんな兜をかぶった戦国武将がいたよなあ、と思って調べてみると豊臣秀吉がそうであった。
そこで先月に引き続き、弊社の新商品“かけるスティックカレー”イエローとブラウンの2種を使って、パンに秀吉の兜を描いてみた。むちゃくちゃ弱そうな秀吉ができた。
トーストにすると、秀吉がこんがりと日焼けして少しだけ精悍になったような気がするのと、香ばしさが増しておいしくなることを発見した。お試しあれ。
2018年3月