91区 群馬八幡~安中
群馬県には数多くの古墳(その多くは前方後円墳)が今も残っている(と偉そうに言う私もこの企画で群馬県に入って知ったばかりなのだが)。今回は、高崎市にある観音塚古墳と、そこに隣接する考古資料館へ行く。資料館には、古墳で発見された銅製の器や装飾品や武具などが展示されている。出土品は当時の高度な金属加工技術が感じられる見事なものだが、これらは昭和20年3月10日、まさしく東京大空襲があった日に、防空壕を掘っていた住民が発見した石室に納められていたものだという。
発見した住民は驚いただろうが、ここが古墳だということはたぶん知っていたと思うので、地下には防空壕として使える空間があることを期待して掘っていたのだろうか。地中から大きな石室が現れた時には驚くと同時に、これで空襲から逃れられる、助かったと安堵したのかもしれない。それにしても、発見した人々は豪華な副葬品を私物化することなく届け出たのだ。そのおかげで、今私たちが古墳時代の資料を入館料の100円を払うだけで目の当たりにできることに感謝したい。
資料館の方に「石室の中に入れますよ、懐中電灯をお貸しします」と言われて、それではと古墳の中に入るという貴重な体験をさせていただく。人の墓の中に入ることには若干の後ろめたさを感じるのだが、高さ2.8m幅3.4m全長15.3m、よくぞこんな巨大な岩を運んできて組んだものだ、と圧倒される迫力だ。そして、誰もが自由に出入りできる状態なのに、いたずらされた形跡もなくきれいに保存されていることにも感動する。
それはそうと、これは忘れてはならないことで、しかしつい忘れてしまいがちなのだが、ここは墓なのだ。葬られていた遺体はどこへ行ったのだろうか。
この観音塚古墳も前方後円墳なのだが、私は前方(前の部分が四角)後円(後ろが円形)墳という呼称に違和感があって、前後が逆なのではないかというつたない漫画を描いたこともある(22区)。さらに疑問を言えば、四角の部分は角度が直角な正方形や長方形ではなく、台形もしくは三角形の一部なのではないのだろうかと思っている。
その、私の感覚とぴったりの図形を街角で見つけた。大手楽器メーカーK社の音楽教室の看板なのだが、このマークこそが私がイメージする前方後円墳の形だ。私の勝手な思い込みに誰か賛同していただけるだろうか。K社からは勝手な解釈をするな、と叱られるかもしれないが。
碓井川を渡る橋の上から、遠くの山肌に沿ってかなり大規模な工場が見える。何の工場だか知らないが、山の頂上部分から原料を投入して、下に落としながら加工工程を経て、山の麓で製品ができあがるのだとすれば、地形をうまく活用した工場立地だと言える。
あとで確認したところ、東邦亜鉛の安中精練所であった。そういえば安中公害訴訟という出来事が私の記憶の片隅にあるが、それはかつてこの工場の排水および噴煙によって起こった公害問題なのだった。
JR信越本線の安中駅は、その工場の真下にあった。駅名表示のローマ字annakaは、逆から読むと“あかんな”だ、とどうでもいいことに気が付く。もうひとつどうでもいいことで、高崎へ向かう一つ手前の駅は北高崎なのだが、車内アナウンスが「次はキタタカサキ」といかにも発音しづらそうに固く言うのが印象的だった。それを聞いた若い女性二人連れが「キタタカサキキタタカサキ」と言い合ってうけていた。たかが北高崎で盛り上がる若さってすばらしい。
2019年3月