自粛中 これも海の生き物
44.フジツボ(藤壺または富士壺)(甲殻類)
フジツボは、海岸の岩場に行くと岩にびっしりと付いている。あるいは、サザエやアワビや、船の底にも付いている。見かけは貝のようだが、エビやカニと同じ甲殻類の一種で、太古の昔、進化の過程で動くのは疲れるからやめて何かにくっついて生きよう、と判断したようだ。のちの世で人類が船というものを発明することを予見して、その船とやらにくっついていれば、自ら泳ぐよりもはるかに楽に、速く、遠くまで移動できるはずだ、と考えたすばらしく賢い生き物だ。
現実はまさにフジツボの思うツボで、船底にくっついたフジツボたちは今や全世界を自由に行き来している。外見ではわからないが、思った通りの展開になって壺の中は興奮のルツボと化しているのだろう。一方、フジツボにくっつかれた船はスピードは出ないは燃費は落ちるはで、失意と落胆のドツボにはまっている。
フジツボは、円錐形で頂上に穴が開いた火山のような形、富士山のようで、まさに富士壺という字がぴったりだ。ところが調べてみると、もともとは籐を編んだ壺に似ているから籐壺で、それが藤壺になって、さらに当て字で富士壺になったらしい。
なぜ藤壺なのだろうか。藤壺といえば源氏物語の登場人物で、恋多き光源氏のお相手の一人だ。こうなったら藤壺について突き詰めよう、と(あまり関係ないのは承知のうえで)角田光代訳の源氏物語全三巻に挑戦しているところなのだが、まだまだ一巻の終盤だ。藤壺とは、桐壺、梅壺などとともに平安京内裏の後方に5つあった離れのことで、そこに住む女性の呼び名でもあった。言ってみれば“藤の間にお住まいの女性”のようなもの。それにしても生物のフジツボはどうして藤壺なのだろうか、富士壷ならまだわかるのだが、よくわからない。
45.ギョロッケ(魚ロッケ)(魚肉加工食品)
ギョロッケと言っても北部九州以外の人は知らないと思うのだが、魚肉加工品の一種だ。
そもそも、魚のすり身を加工した食品の歴史を調べると、すり身を固めた食べ物は平安時代からあって、竹の棒を包むようにすり身を巻いて焼いたものが、形が蒲の穂に似ていることから蒲鉾とよばれるようになったとされる(諸説あります)。その後、板に付いた蒲鉾は室町時代あるいは豊臣秀吉の時代あたりから出てきて一般的になり、もともと蒲鉾だった中空のものは、いつのまにか竹輪と呼ばれるようになっている。
竹輪や蒲鉾は魚のすり身を焼いたものが最初で、のちに蒸した蒲鉾があらわれ、さらには薄くのばしたものを素揚げしたものが出てきた。これがさつま揚げだが、関西などでは天ぷらとも呼ばれているらしい。九州では、というより博多ではこれを丸天といって、うどんの具としておなじみだ。博多うどんの具は、一にごぼう天、二に丸天、三に肉うどん、と決まっていて(私の主観です)、また、ごぼう天と丸天を同時にのせて食べるのはぜいたくなこととして、庶民が食べることは戒められている(これも私の主観です)。
さて、すり身の調理法なのだが、焼く、蒸す、素揚げを経て、ついに衣をつけて揚げることを昭和の初期に唐津市のF蒲鉾さんが考案した。私はこの連載の135回(アジの項)で、海鮮素材に小麦粉・とき卵・パン粉をまぶして揚げたものはフライ、肉を揚げたらカツ、ジャガイモを揚げたらコロッケと書いた。この論理でいくと、魚のすり身に衣をつけて揚げたものは“すり身フライ”なのだが、見かけがコロッケに似ていることから“魚ロッケ(ギョロッケ)”と名付けられて唐津をはじめ佐賀県・福岡県で売られている。F蒲鉾が魚ロッケの発祥であることは間違いなさそうなのだが、各地で同じようなものが違う名前で存在するそうなので、この食べ物の発祥がどこなのかは不明だ。
魚ロッケは、高級料亭では絶対に出てこない、いわゆるB級グルメだが、似たような見かけで、似たような存在のものにハムカツがある。これは適当な厚さに切ったハムに衣をつけてて揚げたもので、ハムの厚さによって、厚ければそれなりの高級感があるし、薄ければまたそれなりの哀愁がある。
ハムカツの発祥の地なり本場がどこなのかは良く知らないが、栃木県にはハムカツ専業のメーカーもあって、ここが本場だという説もある。魚ロッケとハムカツ、似たような存在の食品が佐賀県と栃木県にあるというのも、両県に関わりのある当社としてはこれも何かの縁だ、とこじつけにしろ、うれしいことだ。
参考文献:江戸 食の歳時記 松下幸子著 ちくま学芸文庫
2022年10月