116区(連載153回) 佐野~足利
栃木県の全25市町踏破を目指す旅、今回は佐野市からまずは足利市にある栗田美術館に向かう。ここは地元の栗田氏が蒐集した、肥前伊萬里と鍋島の磁器のみを展示した美術館で、広大な敷地によくぞこれほど集めたものだと、その数と磁器の歴史に感嘆する。私は肥前(佐賀県)の唐津出身なので、同じ県内の伊萬里(伊万里)と鍋島(佐賀)を知らないわけではないのだが、数多くの銘品を目の前にすると、そんな中途半端な知ったかぶりをしてどうする、と叱られた気分だ。なかでも印象的だったのは、目が回るほどの蛸唐草文様と、それが時代とともに変化している解説だ。蛸唐草とはどんな模様か、頭に残っているイメージを描いてみた。本当は規則性のある数学的な文様なのでこんなものではないのだが、素人が初めて描いたものとして笑ってください。
足利には日光と高崎(倉賀野)を結ぶ日光例幣使街道が通っており、この街道もいつかゆっくり味わってみたいと思うのだが、ここには八木宿という宿場の跡がある。では今回は八木宿を目指すのか、というとそうではない。ただ、民謡“八木節”の名前はこの八木宿に由来していて、八木節会館という施設もあることを知り、八木節は群馬県の民謡だと私は勝手に思っていたので意外だったのだ(残念ながら八木節会館は本日休館日でした)。
八木節の本家は栃木か群馬かで混乱するのは、このあたりは群馬県と栃木県が近接しているからで、おかしくはない。そもそも明治の初めの廃藩置県によって栃木県が“ほぼ”現在の形になったのが1873年で、昨年はちょうど150年目にあたり、そのお祝いムードの盛り上げに当社も少しばかり関わったのだった。では、県が“ほぼ”現在の形とは、今とどこが違っていたのかというと、1873年の段階では、現在は群馬県である館林市などの一帯が栃木県に含まれていたのだ。その2年後の1875年に館林などは群馬県に編入された。だから、八木節の発祥は栃木県のようでも群馬県のようでもある、との結論でいいのだろう。
八木節といえば、外山雄三が各地の民謡をもとに作曲した“管弦楽のためのラプソディ”のクライマックスに使われているのが印象的だ。というか、私はその曲でしか八木節になじみがない、と言ってもいいくらいだ。
足利に来たからには、日本最古の学校といわれる足利学校を訪ねなければ、と行ってみる。窓口で420円の入学金?を払うと「入学おめでとうございます。」の言葉とともに入学証と学生証をいただいて入った(入学した)。入口で散歩中の犬に吠えられて、さすがに犬はどうかと思うのだが、今は誰でも入れる。ここで学んだ主な人々の一覧があるのだが、かつて学問は男だけがするものだったので、当然ながら男ばかりだ。
今は男女の差別をなくそうという時代になった一方で、これは差別ではないものの男女は別学という考え方もある。男女別学の都道府県立高校は2023年度で全国に36校(女子校20、男子校16)あるそうだが、そのうち栃木・群馬・埼玉の3県だけで32校(女子校17、男子校15)を占めている。足利学校の時代から、教育と文化の分野では進んでいると思われるこの地域なのだが、男女は別に学ぶべきだという伝統もあるようで、その是非が問われるようになっている(下野新聞1月15日の記事による)。私は共学の経験しかないので、それが当然と感じて学校生活を送っていたが、別学が良いという人がいてもそれはそれでいいのではないだろうか。
2024年1月