走らんか副社長
【日光街道 北行】

4区 草加~越谷

春爛漫の某日、東武伊勢崎線草加駅から出発する。

草加といえば、せんべいである。Dr.スランプ則巻アラレちゃんの父は則巻せんべえ、私の父はでんべえである(取締役相談役 宮島傳兵衞)。

草加せんべいは、おせんさんという女性が、売れ残った団子から作ったのが発祥と言われている。その後、ここが原料の米がとれる水田地帯であったことと、醤油の産地である野田とは川を船で渡ればさほどの距離ではないことから、醤油せんべいが産業として発達した。

“草加せんべい発祥の地”石碑

街道沿いには、せんべい屋さんがたくさんあるが、どの店が老舗なのか元祖なのか本家なのか、はたまた、どの店の何がおいしいのか、情報を調べていないので適当に購入する。創始者の名を冠したおせん公園に“草加せんべい発祥の地”石碑が立っている。石碑の前で、本場の歴史と伝統を全身に感じつつ、堅固な円盤を一気に齧ると、ぼりぼりと豪快な破壊音とともに醤油の芳香成分が口腔内一杯に拡がり、本場で食べる本場ものの味はまた格別だ、と感嘆する(少々誇張あり)。


草加駅近くの小学校跡が歴史民俗資料館になっており、草加の歴史について学ぶ。草加は、かつて低湿地帯で、日光街道はこの地を避けて迂回していたのだが、大川図書という人が開発して街道を通し、宿場町として発展した。その大川氏が創建した東福寺が近くにあるので訪れるが、ここでは参拝とは別に、松の観察と落ち葉拾いという目的があった。

弊社では、地元唐津の名勝“虹の松原”の松葉かきを社員のボランティア活動として行なっているが、その虹の松原の松(クロマツ)など、一般的な松の葉は細い二つの葉がV字型の対になっている。しかし、ここの寺の松は珍しい三葉の松である。松の種類についての説明はなかったが、この見慣れない松葉は、頭のてっぺんに毛が三本、おばけのQ太郎の髪の毛を連想させる。


おせん公園から綾瀬川に沿って、まっすぐ北へ草加松原が延びている。両側の松林に挟まれて遊歩道が整備されており、気持ちの良い街道だ。歴史ある街道にしては松の樹齢が若いのが気になったが、一旦荒れてしまった松原に改めて植樹し、復活させた努力の結果だというので納得する。松原団地という駅が最寄りだが、本当に松原があったとは今回はじめて知った。

街道沿いには、ここを奥州に向けて歩いた芭蕉にちなんだ像や句碑があり、また、日本文学の研究者で芭蕉の研究もされたドナルド・キーン氏の植樹記念木碑もある。氏は、今回の震災を機に日本への帰化と永住を決意されている。並の日本人よりもずっと日本を愛しておられる氏に敬意を表さずにはいられない。

今日は晴天の休日とあって、お散歩中の人、黙々と走る人、グループでしゃべりながら走る人などが多数見られる。つつじが、もうこれ以上は一輪たりとも花を付けるのは無理だぞ、とばかりに満開だ。この松原は1.5kmの直線コースで、途中に百代橋、矢立橋と二つのアーチ型の歩道橋が高低のアクセントになっており、石畳に足をとられないよう気をつければ、軽くジョギングするにはなかなか良いコースである。


街道からは少々逸れるのだが、おもしろい交差点がある、というのでわざわざ遠回りをする。その交差点というのが、これ、ミラクルきたぁ!!

例えばスポーツで大逆転優勝することをミラクルと言い、あるいは小惑星探査機が幾多の困難を克服して帰還したことを奇跡と言うことは、それに関わった人の努力や熱意を軽視しているように思えて、私は嫌いである。しかしながら、この交差点の南にはまぎれもなく奇跡的にミラクルな場所が存在することを認めざるを得ない。

(何がミラクルなのかがどうしても気になる方は、このページ下部の地図に示されているスポットのどれかをクリックするとわかります。)


草加の手前から越谷を過ぎるまでの日光街道は、今の県道49号線にあたるのだが、この道は交通量が結構多く、それにもかかわらず歩道が無い区間も長く、しかも沿道の景色は変化に乏しく、草加松原の区間を除いては走ったり歩いたりには不向きの道である。地形的には低地の平野で、まったく高低差を感じることのない道が続き、小さな川や堀が多い。そんな道を気分が乗らないまま進むと、日光街道三番目の宿場、越谷宿に入った。

宿場町に入ると、昔ながらの商店など趣のある建物がちらほらと現れる。この、黒塗りの壁と格子戸の建物は塗師屋といって、昔は漆を扱っていた店だったとのこと。駅前には高層マンションもそびえているが、少し外れると宿場の歴史が感じられる。

2011年6月

今回の走らんかスポット