23区 楡木~壬生
前回寄り道をしたために街道からはずれた。北赤塚交差点に戻ってから街道走りを再開する。
街道は鹿沼市を抜けて壬生(みぶ)町に入る。壬生町消防団の車庫の扉が開いているのだが、中で出動に備えて待機している赤い消防自動車は、私の気のせいか農耕用トラクターのように見える。しかし、多分、想像するに、緊急事態発生時にはこれが変身し、最新鋭のハイテク消防車となって颯爽と発進するのであろう。そうに違いない。そう信じておこう。
この街道沿いには多くの一里塚が今も残っており、この道がただの道ではない、歴史ある街道であることを教えてくれるのだが、稲葉の一里塚は歩道と車道の間に挟まれて保存されている。この辺り数kmにわたっては、小川に沿って歩道が整備されており、早春の日射しを受けてきらきら光る流れを横に見ながら、なかなか快適に走ることができる。しかしながらこの小川は、壬生の街に入る本丸一丁目交差点手前で、不思議なことに忽然と地中へ姿を消すのである。地図で確認するのだが、その先で一旦復活するように見えて、やはり消滅する。
壬生の「壬」は、「みずのえ」と読んで水に通じているので、壬生は水が生まれる地と解釈できるのだが、その地で水が消えるとはなんとも皮肉なことではないか。
精忠神社に、干瓢伝来三百年記念の碑がある。近江(現滋賀県)の城主がこの地に転封して、かんぴょう栽培を伝えたのが1712年とされており、300年後にあたる昨年建てられたものである。伝来とは、外国から伝わったことを言うのでは、といささか奇異な印象を受けるのだが、昔は行政区画を国と称していたのだからよしとしよう。
かんぴょうは、この像にあるようなウリ科植物の大きな実の果肉を、薄くむいてから乾燥させて作るのだが、農林水産省の統計によると、栃木県が全国の出荷量のなんと99%を占めている。
では、このように一つの都道府県が独占的なシェアを持つ農産物は他にあるのだろうか、と気になって農水省ホームページの統計情報を片っ端から覗いてみる。かんぴょうと同様にシェアが極端なものとしては、食用ゆりは北海道が99%、食用花は愛知県が98%、とマイナーな農産物があるが、一般的なものでは、じゃがいもは北海道が83%、にんにくは青森県が71%といったものがある。また柑橘類では、すだちは徳島県、かぼすは大分県が圧倒的な産地だ。
壬生城址はきれいに整備されており、堀と土塁に囲まれた中にある歴史民俗資料館(入場無料!)を見学する。前回、前方後円墳についてイラスト入りで書いたが、この一帯には古墳群が存在すること、この町が中世以降は壬生氏による城下町であったことを学ぶ。壬生といえば、京都にも同じ地名があって壬生菜が有名であるが、壬生氏は京都から来たとの説明があって、なるほどと納得する。
壬生の街には立派なお屋敷が点在し、往時の繁栄が想像できる。中心を走る通りは、蘭学通りという文化的な香りのする名前だが、街並みがすっきりとして空が広く感じられるのは、電柱と電線がないからだ。ここは、失礼ながら有名な観光地ではない小さな町だ。しかしながら、町をあげて景観を守り、歴史と文化を大切にしようと取組んでおられる姿勢が感じられて、素晴らしいと思う。
東武宇都宮線壬生駅に到着して今回は終了する。
ところで、こんな看板を鹿沼市内で見かけた。青少年育成環境浄化推進市民会議によって設置されているものだが、う~む。もういらない!と叫ぶまでもなく、今どきそんな自販機を見かけることはないのだがなぁ。
2013年2月