29区 鳩ヶ谷~赤羽
埼玉高速鉄道の鳩ヶ谷駅から出発したのだが、鳩ががやがや飛んでいるわけもなく、街並が急に都会になって風景から自然がなくなった。これといった史跡もなく、はてさてどうなることやら、と進んでいたところ、国登録有形文化財 旧田中家住宅という御屋敷に遭遇し、内部は公開されているというのでお邪魔する。
川口市は原料の麦がとれたことから、かつては味噌醸造業が発達していた所で、田中家は麦味噌醸造業と材木商として財を成されたとのこと。味噌は地方によって主原料が米・麦・豆と異なり、それぞれ特色があるが、米味噌が主流の関東でも、このあたりは麦味噌文化だったようだ。残念ながら今は醸造業はやめられて卸小売業のみ続けられている。
和館・洋館を併せ持った優美な邸宅で、しかし華美に過ぎることのない見事な建物であった。昔の醸造業経営者は概して資産家で地元の発展に尽くされており、たいしたものだと感じ入る。我が先祖もそうなのであるが。
係の方に、庭先から邸宅の地下へと続く防空壕を見せていただいたのだが、入口のふたにつぶされてきれいな干物になっているヤモリが印象的であった。
埼玉県の南の端、川口宿に入ると、通り沿いには昔ながらのパン屋さんや、歴史ある看板の薬局や理髪店があって、昭和時代のレトロな雰囲気を醸し出している。洋品店は休日で店を閉めているが、二階の壁は銅板を張ったのだろうか、魚の鱗のような凝ったつくりで工芸品のように美しい。しかし、まことに失礼ながら少々気持ち悪いような感じもしないではない。
この本町商店街は、かつては宿場町として栄えていたわけだが、その後川口市の中心は鉄道の駅がある西部に移っている。しかしながら、ここはまったく寂れてしまったわけではなく、いい味を出しながら残っているのが貴重だ。今日の出発点だった鳩ヶ谷の街もしかり、日光御成道は日光街道の裏通りと侮るなかれ、表通りの派手さはないが、裏通りには裏通りならではの良さがあるのだ。きっと人生の裏街道も良いものに違いない。いや、それはどうだか。
荒川をわたって、いよいよ東京都に入る。思えば往路で荒川をわたったのは2011年春だったので、実に2年半ぶりの東京帰還である。電車では毎週東京入りをしているのだが、自分の足で旅程を踏むことに意味があるのだ。なお、左側に見える川岸の広場は野球グラウンドで、谷川真理ハーフマラソンのスタートゴール地点なので私にとってはおなじみの場所だ。
ところで土手を隔ててすぐ隣で、荒川に寄り添うようにもう一つの川が静かに流れている。これは何だと問われて即答できなかったのだが、これは新河岸川で、この先荒川と微妙に合流しそうで、でもやはり分岐して結局は隅田川になるのだ。往路でも荒川水系の川についていろいろ勉強したが、まだまだ奥が深いというか、治水工事による合流や分岐や、名前の変遷が複雑でよく理解できていないのだ。
東京都に入ってすぐの赤羽で、東京23区内で唯一の酒蔵という看板に吸い寄せられて、小山酒造さんに立ち寄る。蔵の建物には「愛酒報国」と掲げられている。酒を愛し国に報いるとは、なんと美しい言葉だろうか。まあ考えてみれば、酒を飲むという行為は、酒税を国に納めるということに他ならないのだから、当然のことといえば当然である。私などは人一倍国に報いている。本当は人の二倍も三倍も飲んでいるはずなので、人一倍という言葉は数学的におかしいのだが。
ともあれ、せっかくなので江戸の地酒を記念に購入して帰ることにする。
さて、9月も下旬になると酷暑は終わり、いよいよ桜の季節到来である。
なんとふざけたことを書いているのか、と思われるかもしれないが、この写真は近所の柏の葉公園で9月23日に撮ったものだ。
ジュウガツザクラという種類で、10月を中心に秋から冬にかけて花を咲かせるのが特徴だ。たまたま私がトレーニングで通りがかった時に、ひとつひとつ枝に標識を付けて記録と撮影をしている方がおられたのでご挨拶したところ、研究者の手伝いをされている方で、いろいろ教えていただいた。
普通の桜は一気に咲いて、さっと散るが、この桜は枝ごとに咲く時期がずれて、したがって木全体としては数ヵ月の間花を付け続ける。花は一重だったり八重だったり、花の「がく」の部分が葉のようであったり、枝からではなく幹から直接花が咲くことがあって、それが他と違ってピンク色だったり、とにかくよくわかっていないことが多い植物なのだ、とのことだ。
この時期に桜とは珍しい、というだけでなく、何故そうなのかを探求している方に接することができ、トレーニングがまことに有意義なものになった。
2013年9月