36区 松戸~南柏
私はかつて通勤にJR常磐線を利用していて、途中駅の松戸を毎日通過していたのだが、車窓から見る風景でその当時から印象に残っていたことがある。下り電車が駅を出るとすぐ右側に「石鹸国」を英訳した店が堂々とあり、すぐ隣には神社と思われる小山がある。その先にはさらに高い山があって、神社なのか城址なのか古墳なのか、なにやら謎めいた雰囲気が感じられるのだ。今回はその謎を解明すべく、風俗と歴史が同居する町を探索する。
石鹸国コンパニオン募集中の看板の裏手にある山は、やはり神社であった(岩山稲荷神社)。稲荷神社には狛犬ではなく狐が座っているものだが、ここの狐はなぜか檻の中に捕らえられている。心ない者にいたずらされたり、はたまた盗まれたりするのを防ぐために保護されているのだろうか。いや、たぶんそうではなく監禁されているのだろう。この狐は夜な夜な妖艶な女性に化け(狐だけにコン・パニオン)、男をだまして店に誘っていたのが発覚して、これ以上悪さをしないよう閉じ込められたのだと思われる。
そしてその先にあるさらに高い山は、金山神社という神社であると同時に、富士塚であった。富士塚をこのコーナーでとりあげるのは赤羽、駒込に続いて3度目だが、富士山信仰の対象として富士山に模した山を築いたものだ。ごつごつした溶岩を積み上げているので、周囲の景色と際立って異なっており、遠くから見ると荒れた山肌が不思議な雰囲気を醸し出しているのだ。そもそもこの溶岩はほんとうに富士山麓から持ってきたものなのだろうか。ダンプカーなどなかった時代に、小山ひとつ分の溶岩を運ぶ労力は並大抵のものではなかっただろう。
通りがかった女性が、ここは、富士山の世界遺産登録を記念してマスコミが各地の富士塚を紹介した際、千葉県で3か所とりあげられた中のひとつだ、と説明してくれた。今や富士塚は信仰の対象というより地域の自慢になっている。
富士塚としての高さといい、駅から近いのに町の喧騒から離れた雰囲気といい、なかなか見ごたえのある史跡なのだが、なんとも場違いなことに手水鉢の水が黄金のライオンの口から出ている。これではまるで、テレビ番組でよくある芸能人の豪邸訪問で「こちらがバスルームですのよ。」と紹介されそうな雰囲気だ。狐にだまされた男性が、風呂場と間違って服を脱ぎだすのではないかと、それが心配だ。
大手パンメーカーの工場(食べたいが、香りだけ)、大手焼酎メーカーの工場(飲みたいが、おあずけ)、競輪場(見たいが、開催日ではない)が並ぶ直線道路を北へ向かう。水戸街道の次の宿場は小金で、北小金駅前には真新しい案内板が立っている。
お金の話をすると、小金(こがね)は大金(たいきん)よりも少額であるはずだが、「ちょっと小金が貯まったものでね、へっへっ。」と言う場合(私は言ってないです)と、「今日は財布に大金が入っている。」とでは、どちらの額が大きいだろうか。小金もけっして大金に負けてはいないと思われる。
それはともかく、松戸市の北部である小金はかつての宿場町であり、小金城があった場所であり、小金牧という軍馬の育成牧場としても名前が残っていた由緒ある地名だ。現在でも「小金」が入った町名が存在するのだが、そんな中で今日のコース沿いには小金きよしケ丘、小金清志町という、小金と「きよし」を組み合わせた町名があって、なるほど、あの人の影響力は絶大だったのだと感心する。
あの人とは、元松戸市長であり、自らの名を店名にしたドラッグストアチェーンの創業者である松本清氏のことだ。企業名あるいは企業の創業家の名前が地名になることは、いわゆる企業城下町ではしばしばあるが、この場合は企業名としてではなく、おそらく清氏が市長当時に開発された住宅地に自ら命名したのか、周囲が市長の功績をたたえてつけたのか、どちらかだと思われる。
では、どんな功績があったのか。1970年代に、自治体が住民の声にすぐ対応する「すぐやる課」を設置して話題になったことを記憶しているが、それを最初に実施したのは当時松戸市長だった松本氏だったことを今回知った。
JR南柏駅までは比較的新しい住宅地で、よく手入れされた庭園の植物が目を楽しませてくれる。なかには、中庭から脱走または脱落した種が歩道ブロックのすき間でほとんど地表すれすれに立派な花を咲かせていたりする。花壇で大切に育てられる恵まれた環境から一転して、窮屈で厳しい環境の中に投げ出され、こんな所でかわいそう、あるいは、こんな所でよく頑張っているど根性植物という見方をされがちだが、最近買った本によると、すき間には日照を奪い合うライバルがおらず、地表がブロックなどでおおわれているので乾燥しすぎることもなく、植物たちにとってすき間は楽園なのだ、と解説されている。なるほど、ビジネスにおいても市場のすき間を狙うのは一つの有効な戦略だが、植物の世界においてもそうなのだ。
歩道に咲いたこの花が、スマホに夢中で前方(下方)をまったく見ない歩行者に踏みつぶされることのないよう願うばかりである。
2014年6月
【参考文献】