58区 木下~印西
前回、木下(きおろし)のふるさと博物館に行った時、ちょうどお会いしたボランティアの方から、裏手に珍しい灯篭がありますよと案内された。見たところ表面がざらざらの石なのだが、実は貝の化石のかたまりでできている。近くに木下貝層と呼ばれる貝の地層があって、その岩を切り出して灯篭の形に彫ったもの、と教えていただいた。なるほどそのあと気を付けてみると、街角にも同じように貝でできた灯篭がいくつか立っている。
その貝層が見られるという木下万葉公園へと行ってみる。小高い山の崖を見上げると、貝が積もって化石化したものが層をなして地表に露出しているのがわかる。貝塚は、数千年前に人が貝を食べたあとに捨てた貝殻が積み重なった跡だが、これは8~12万年前、東京湾の海底だったここに自然に貝が堆積し、その後の地殻変動によって地表に現れたものだ。当時の東京湾の生態系はどうだったのだろうか。数万年という時間をかけて自然は毎年少しずつの貝をかいがいしく積み上げ、それが貝の層となって今目の前にあることに静かに驚く。
本日は、関東地方でちょうどソメイヨシノが見頃の日だ。桜の季節に合わせて桜の名所へと走って花見をするのはあまりにも普通すぎて、人と同じことをするのが嫌いな私らしくないのだが、今日向かう小林牧場は、私にとって縁のある場所なので特別だ。門から続く道に沿って桜が満開の、ここの正式名称は東京都競馬株式会社大井競馬小林牧場という。大井競馬場で走る馬たちが育ち、鍛えられている牧場だ。私もあの競馬場の馬場を走ったことがあるので、ここにいる馬たちとは同窓生というか、体験を共有した者として親しみがわく。いつもは静かであろう牧場が、今日はまるでお祭りのように露店も出て大賑わいだ。馬たちもびっくりしているだろうが、これくらいの人混みに慣れておかないと大レースの歓声の中では勝てないぞ。
道端に自生するスミレもかわいい。
本日の終着地は北総鉄道の印西牧の原駅。駅のローマ字表記はinzai-makinohara。印西市にあるのだし、印西/牧の原と区切るのが当たり前になっているが、歴史的な観点からはどうなのだろうか。江戸時代にはここに印西牧という幕府直轄の牧があった。駅名を考えた人もそのことが頭にあったのだろうから、印西牧という単語は、途中で区切らずに大切に使ってほしいな、とかつてここで暮らしていた馬たちの声を代弁して主張したい。
その印西牧の原駅だが、遠くから眺めると草原のかなたにあって、まさしく印西牧/野原の風景だ。駅に着くと、駅周辺にはショッピングモールの広い建物があり、ここが、新しく開発された住宅地・商業地区と自然のままの土地が隣り合っている地域なのだとわかる。バブル期以降の景気低迷で、都市計画としては中途半端になっているのだが、それが自然にとっては幸いし、この駅前の草原は草深原(そうふけっぱら)と名が付いていて保護されているらしい。
2016年4月