69区 小見川~東庄
千葉県と茨城県の境を利根川に沿って東へ東へ、下流へ下流へと進んで東庄(とうのしょう)町に入る。まったくなじみのない町なのだが、目的地は入正(いりしょう)醤油さん。享保9年(1724年)創業というから、今年で創業293年にもなる醤油一筋の老舗だ。醤油工場という感じではなく、昔のお屋敷そのままのたたずまいが魅力的なこの建物は、昭和60年(1985年)に醤油屋を舞台としたNHK朝の連続テレビ小説“澪つくし”の撮影に使われている。ドラマの内容はまったく記憶にないが、主演が沢口靖子さんと聞けば、そういえばそんな番組もあったか、と思い出す。
私が訪ねたのは土曜日だったが、営業されていたので事務所に入り、ドラマにちなんだ“澪つくし醤油”を記念に買い求める。
(澪標を図案化したもの)
ドラマの題名となった澪標(みおつくし)とは、通行する船に通りやすい深い水脈を知らせるため水路に立てた杭のことで、関西に多く存在していたらしく、大阪市の市章にも使われている。
それはともかく、みおつくしといえば、私はかつてだいたい暗唱できていた(と思う)百人一首の歌を思い浮かべる。
わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思ふ
難波江の 芦のかりねの ひとよゆゑ みをつくしてや こひわたるべき
いずれの歌も難波の水辺にある澪標(みおつくし)と、恋する相手を想う気持ちの強さを表す“身を尽くし”をかけたもので、言葉を操る技巧としては現代のおやじギャグに通じるものがある。今、私が会話の中で同音異義語を駆使して発言すると、周囲からは冷たい目で見られるのがおちなのだが、この百人一首の例でわかるように、おやじギャグは日本古来の文化であり、伝統なのだ。世の若者や女性陣に理解していただけないのがまことに残念だ。
ところで私たちは、俳句や川柳や短歌の五七五、あるいは五七五七七のリズムに古来親しんでいるのだが、このリズムを心地よいと感じるのは日本人だけではないはずだ。他国にも五七五のリズムは存在するに違いないと思っていたのだが、良い例を見つけた。モーツァルト作曲の歌劇フィガロの結婚序曲の冒頭で、弦楽器とファゴットが早口でぶつぶつとつぶやくように奏でるフレーズは、まさしく五七五(厳密には字余りの五八五)のリズムだ。音階を書くと、
れどれどれ れどれみふぁみふぁそ らそらそら
ほら、俳句になっているでしょう。しかも、「どれどれ、これから劇が始まるよ、そらそら」と言わんばかりの楽しそうな句に思えませんか。(この曲を知らない人にとっては何のこっちゃ、という話題で申し訳ない。みおつくしがモーツァルトまで脱線してしまった。)
その後は、利根川河口堰まで脚を伸ばす。管理所にて、この堰は海水が川の上流まで逆流して塩害をもたらすのを防ぐ一方、水道・農業用水を確保するために造られたもの、と学ぶ。堰から見る広大な利根川の眺めは平らで、いやほんとに、遠くに鹿島臨海工業地帯の煙突が見える以外は平らで、空と、川と、その間に一筋の陸地がある風景が美しい。
帰りには白鳥と、黒い鳥はオオバンという名らしいが、鳥たちに挨拶して帰途に就く。つい最近、この近くの町でも鳥インフルエンザが発生して、数千羽・数万羽単位の鶏が殺処分されている。どうか早期に沈静化して欲しいものだ。
2017年2月