87区 本庄~新町
本庄はかつて中山道の大きな宿場として栄えていた町で、昔の蔵が今も数多く残っている。JR本庄駅の観光案内所兼お土産売場で先月いただいた本庄蔵KURA地図を手に出発する。
白壁の蔵やレンガ造りの蔵が街のあちこちにあり、中でも国登録有形文化財に指定されている旧本庄商業銀行の煉瓦倉庫は見事・・・なのだが、時節柄西洋かぼちゃ祭の装飾が施されていて頭が蔵KURAする。
ハロウィンという催しについては、暴徒化した若者が非難されるのは当然だが、仮装した小さな子が行列しているのはかわいいではないか、と思っている人も多いだろう。しかし私は、子供が「菓子をよこせ、さもなければとんでもないことになるぞ」と大人を脅迫して菓子を強要する行為が許せない。人を脅して欲しいものを手に入れる、という経験を子供にさせてどうするのだ。まだ日本に定着したとまでは言えないこの悪習を今のうちに駆逐するために、仮装には仮装で対抗したらどうか。秋田のナマハゲが突然子供たちの列の前に「ごるあぁぁ~っ!!」と現れるとおもしろいと思うのだが。
それにしても、ハロウィンの装飾は南瓜、蜘蛛、蝙蝠、骸骨、髑髏と、漢字で書くと難しい(書けない)ものばかりだな。
毎月走る(歩く)コースは事前に地図で確認して予習しているのだが、今回本庄市の地図を見ていて勅使河原という由緒正しい地名のそばに、何だかわからない図形というか模様なのかを見つけた。地図上に落書きをしたような、つまようじ入れをひっくり返したようなこの直線の集まりはいったい何なのか、手掛かりはなく謎であった。
さて、実際に街道から謎の方向を見た正体はこれ、砂利を扱う会社の事業所で、直線群は巨大なベルトコンベアの集まりなのだった。なるほど、こういうことを発見するのも地図を見る楽しみのひとつと言うべきか。しかし、現地に行ってみないと何が何なのかがわからない地図というのはどうなのだろうか。
神流川(かんながわ)を渡るといよいよ街道は群馬県に入る。橋のたもとには“神流川合戦古戦場跡”の碑がある。織田信長方で北関東の滝川氏と南関東の北条氏が衝突した地で、両軍合わせて四千余人の戦死者を出す阿鼻叫喚の死闘であった、と説明されている。
河原に4000もの遺体が死屍累々と重なっている様は見たくないが、今は広い川幅の中を二筋に分かれた川がのどかに流れている。片側一車線の国道はやや渋滞しているのだが、新しい橋が建設されるようで、橋脚が既にできている。おや、と驚いたのは川が南から北へ流れていること。驚いたのは私だけかもしれないが、関東の川は北から南へ、もしくは西から東へ、東京湾か太平洋へ向かって流れるものだと思い込んでいたもので。地図で確認すると、この川は北上して利根川と合流したのち、南西へ流れることになる。
途中、最近人気の洋菓子工場があり、宮殿のような新しい建物の前に工場見学に来た観光バスが何台も並んでいる光景を見た。その華やかな雰囲気とはうって変わって、JR新町駅前には落ち着いた風情の古い建物がある。これは岡崎醤油さん。宝暦元年(1751)の創業で、この地では大正12年(1923)より醸造されているという歴史ある同業者だ。二階建ての落ち着いた建物は、当社の雰囲気と通じるものがあっていいですね。
最後の写真は黄色いミニトマト、ではない。植物学の権威である牧野富太郎博士に忌み嫌われてかわいそうな名前を付けられたワルナスビ(悪茄子)の実だ。半分に切るとますますミニトマトそのものでおいしそうなのだが、残念ながら私には食べる勇気がない。
2018年11月