92区(連載100回) 安中~磯部
2011年に始めたこの連載が、ついに100回目を迎えました。我ながらよく続いているものだと思います。読んでいただいている皆様、ありがとうございます。
今回訪れた安中市には、ここが日本での発祥の地ということがらが2つある。その一つが、日本におけるマラソン発祥の地だ。
安政2年(1855年)に、安中藩主が藩士の心身鍛錬のために、安中城から碓氷峠までの徒歩競争を命じた。これが安政遠足(えんそくではなく、とおあしと読みます)として記録が残っており、日本最古のマラソン競争とされている。スタート地点だった安中城址には“日本マラソン発祥の地”の石碑があり、ここはランナーなら一度は訪ねるべき聖地と言ってよいだろう(あまり有名ではないけれど)。
史実を再現して、安政遠足侍マラソン大会が毎年開催されている。大会案内によると、峠コースは全長28.97km、標高差1050m、距離はともかく標高差が半端ではない大会で、正直言って私は挑戦する気が失せてしまう。山を登る長距離走といえば、箱根駅伝の5区がすぐに頭に浮かぶが、小田原中継所の海抜は10m、箱根山中の最高地点は874mだそうなので登りの標高差は864m。安政遠足はそれを軽くしのいでいる。
今年は、安政遠足を題材にした映画“サムライマラソン”も公開されて地元は盛り上がっているようだ。せっかく発祥の地まで訪ねたのだから映画も見なければ、と後日鑑賞した。“行きはマラソン、帰りは戦”の副題通りの内容だったが、映画の中で安中藩主が命じたのは「50歳以下の者はみな走れ!」だった。そうか、とっくに年齢オーバーの私は走らなくてもよかったのだ。
安中市がマラソンでどれだけ盛り上がっているかの証拠に、水道の貯水タンクにも安政遠足の様子が描かれている。いやぁ、思わず走り出したくなりますね。
街道沿いに天保3年(1832年)創業の醤油屋、有田屋さんがある。木樽を使った昔ながらの醤油づくりを守り続けておられる老舗だ。創業家である湯浅家は、安中出身でこの近くに旧家がある新島襄とも深い縁があり、同志社の教授や総長を輩出するなど、醤油醸造業だけでなく教育・文化に貢献されている地元の名家だとのこと。
今この拙文を書いている4月は、桜とともに菜の花が満開になる季節。菜の花に代表されるアブラナ科の植物の花は黄色や白が多いが、紫色の花もある。本日のコースで道路や線路の脇に集団で咲いているこの花はなんだろう。同伴者によるとダイコンノハナだと言う。大根の花は白色なので別種なのだが、そんな名前をつけられているらしい。
しかし少し調べてみると、この花はいろいろな名前で呼ばれている。オオアラセイトウ(大紫羅欄花)というのが本名?らしいのだが、なんだか難しい漢字で、どうしてこう読むのかわけがわからない名前だ。また、中国では諸葛孔明が食用として育てていたことから、ショカツソウ(諸葛草)という名もあるのだが、それも今一つ親しみがわかない。そこで、きれいな紫の花をつけた姿からハナダイコン(花大根)や、ムラサキハナナ(紫花菜)という愛称がつけられたようだ(という私の解釈)。江戸時代にやってきて広まった外来種らしいが、いろいろな名前をつけられているというのは、それだけ親しまれているということなのだろう。
さて、安中が“日本発祥の地”であるもう一つは温泉マークだ。万治4年(1661年)に江戸幕府が出した文書に、ここ磯部温泉をあらわす印が描かれているのが、確認されている最古の温泉マークだそうだ。
温泉マークは“逆さクラゲ”と言われることもあるが、このクラゲは触手が現代のものとはくらげものにならないくらい長いので、別種のクラゲだろう。どちらが良いかというと、江戸時代のマークは地図上に描くとスペースを取るので使いづらいのが欠点だ。
最近になって、記号を外国人にもわかりやすいものにしようという動きの中で、温泉マークも国際規格ISOの図記号に変更されるかという危機に直面した。しかし反対意見が多く、結局、現行のものとISOの図記号のどちらでもよいことに落ち着いたようだ。
たしかに、ISOの図記号は家族3人が一緒に風呂に入っているようで、なんだかなあである。
2019年4月
【どうでもいい追記】
100回の連載の中で、いったい私はいくつの自治体を通過したのだろうかと地図で追ってみたところ、結果はこの通り。60の市と町および東京の13区でした。