95区 坂本~碓氷峠
いよいよ今日は碓氷峠に向けての山登りだ。まずは峠の手前の宿場、坂本宿についてなのだが、ここは峠に向かう旅人のために江戸時代に整備された宿場で、直線道路の両側に間口が狭くて奥行きが長い家が整然と並んでいる。かつて宿屋だったり茶屋だったりした建物は、民家や商店に建て替えられているのだが、区画はそのままに、かぎや、なかや、港屋、俵屋といった屋号の看板が今でも掲げられているのが驚きだ。これまで多くの宿場町を通過してきたが、昔の面影が観光目的ではなく何気なく自然な形で残っているのが心地よい。
左の写真は坂本宿の入口から正面の刎石山(はねいしやま)の方角を見たもの。そして右は、山道に入ってその刎石山を登り、坂本宿を振り返って覗けるその名も“覗”という地点から、左の写真のほぼ180度反対方向の上方から撮ったもの。美しい街並みが見える。計画的につくられた町だということだが、今こんな街づくりをしようとすると、土地の権利が、住民の同意が、となかなか計画通りには進まないのだろうな。
山道に入ると、いきなり急な坂道を登ることになるのだが、途中に柱状節理の崖がある。柱状節理とは、溶岩が冷えて固まる際に一方向に規則的なヒビが入って柱状の岩が集まった状態になったもの。各地の海岸の断崖絶壁にあって観光名所になっている印象が強いのだが、こんな山中でも見られるのだ。
ここでは柱状というより板状にもろくなった岩が破片となって下に散乱している。
その横には地面ごとめくれ上がってしまった倒木があるのだが、はたしてこれはこの場所で倒れた木なのだろうか、ひょっとすると崖の上から落ちてきた木なのかもしれない。たまたま柱状節理のヒビの間に芽吹いた木が岩の間に根を伸ばして成長し、すると根が入り込んだ岩盤はどんどん弱くはがれやすくなり、一方で木はどんどん重くなり、風雨の中でついに自重を支えきれずに倒れたのだろう。
山の中では、平地ではなかなかお目にかかれない植物が観察できる。シダ植物と言えば庭の日陰に勝手に生えてきて、日陰から外に繁殖しようとはしないのでまあ許せるけれども、あまり好感の持てる植物ではない。しかし、こうもきれいに円形になっていると美しいではないか。この写真では8枚の葉(?)が輪になっているが、別の個体では10枚で、枚数は決まっていないようだ。正確な名前は分からないのだが、見事な姿なのでシダ類の最高峰という意味を込めて、シダックスと勝手に命名しよう(どこかで聞いたことがある)。
次は苔むした倒木に密生した小さなキノコたち。なめこに似てとてもおいしそうなので採って帰り、翌日味噌汁にしてありがたくいただきました。・・・なわけはない。その証拠に今こうして健康で原稿を書いている。いやいや、それ以前の問題として、勝手に植物を採取してはいけません。
私は“街走り”はしていても“山歩き”の経験は乏しい。しかも今回は山歩きどころか、標高1200mの峠を目指す“山登り”の回であった。江戸時代から明治まではこの山中に数か所の茶屋があり、25名の生徒が通っていたという小学校もあったそうなのだが、今はここにそれがあったという案内板があるだけで休む場所は何もなく、ただただ山道を歩いた、歩いた。終盤には道が途切れて沢を渡る場面まであったのが街道歩きとはまったく違う趣で、これもまた良い経験であった。
熊除けの鈴と、虫除けとヒル除けのスプレーを用意して完全防備の態勢で臨んだのだが、鈴の効果があったのかどうか、熊には遭遇せずにすんだ。黒くて丸い物体を発見して、熊のフンか、と一瞬驚いたこともあったが、よくよく見るとフンはフンでも噴石のようだった。数日前には近くの浅間山が噴火していているし、ここは火山活動でできた山なのだということを実感したのだった。
いっぽう、しつこく付きまとってくる虫たちにはなすすべなく、大自然の中では虫除けスプレーなど気休めでしかないことを思い知ったのだった。
今回の感想は、昔の人はこんな山道をよく歩いたものだ、ということ。しかし、鉄道も車もなかった時代の人が移動するにはこの道を歩くしかなかったわけだ。いっぽう、歩かねばならない理由はなく、ただ自身の興味だけで歩いている私は単なる物好きに過ぎない。
物好きといえば、安中城址から峠までを走る“安政遠足マラソン”や、峠越えの車道を走る“碓氷峠ラン”が毎年開催されているのだが、一般の人から見ればいったい何をやっているのだ、と理解不能なものだろう。私は体力的にちょっときついので参加は遠慮したいが、主催者と参加者には敬意を表したい。
峠を越えると避暑地、別荘地、観光地の軽井沢だが、次回へ続く。
2019年8月