走らんか副社長
【中山道 西行】

96区 碓氷峠~中軽井沢

山道を歩き通して、めでたく碓氷峠の頂上に到達した。山道に入ってここまで4時間弱の間に、一人で山歩きをされていた男性とすれ違ったが、途中で出会ったのはその一人のみ。最近は登山ブームともいわれているが、峠越えは人気の外にあるようだ。

群馬・長野県境には神社が建っており、群馬県側が熊野神社、長野県側が熊野皇大神社に分かれている。ここへは軽井沢からバスの便もあって、観光客もそれなりに多くにぎわっている。神社中央の地面には県境の標識があるので、それをまたいで記念撮影をする。この一歩は小さな一歩だが、私にとっては大きな一歩だ。なにせ関東地方を抜け、いよいよ長野県へと足を踏み入れた一歩なのだから。両神社は本殿もお賽銭箱も別々なので、ぬかりのないよう両方にお参りをする。

熊野神社といえば八咫烏(やたがらす)が神の使いとして信仰されていて、おみくじも八咫烏に入っている。この鳥は足が3本あるのが特徴で、3本足ならサッカーをやったらうまいだろう、という安易な理由からかどうか、サッカー日本代表のエンブレムとして使われている。自宅にて、前回のワールドカップ予選の応援に行くために購入したレプリカユニフォームを出してきて、これも記念撮影。


峠からの眺めは、単に景色がいいというだけでなく、とうとう自力でここまで来たという意味で感慨深いものがある。峠から南の方角にある群馬・長野県境の山々を望む。航空機の墜落事故があった御巣鷹山もこの方向のどこかにあるはずだ。


峠という字は“山を上って下る”と分解できるが、碓氷峠は坂本宿からの上りが700m、軽井沢への下りは230mとバランスがとれていない。(このような峠を片峠という、とNHKのブラタモリで解説していた。)その下り道について事前に調べた情報によると、かつての中山道は道が荒れていてわかりづらい。その代わり遊歩道が整備されているので、そちらを歩くとよいとのこと。

その遊歩道を進んだのだが、緩やかな下りでつらくはないものの、遊歩道とは名ばかりでけっこう歩きづらい悪路なのだ。私のずっと前方にはスカート姿の女性が歩いていたのだが、あれはたいへんだろう。軽井沢観光に行かれる皆さん、遊歩道という標識に誘われて、「遊歩道だって。ちょっと歩いてみようか」などという軽い気持ちで入ると後悔しますよ。


峠を下りきると軽井沢の繁華街に入る。かつての宿場町は、今やおしゃれなお店が並ぶ観光地になって内外の観光客でにぎやかだ。碓氷峠を挟んで隣り合う坂本宿と軽井沢宿は、直線道路の両側に間口が狭くて奥行きが長い家が立ち並ぶ、という宿場町の特徴を残しているところは共通しているが、両者の現状を表現すると、過疎と繁栄、静寂と喧騒、質素と爛熟、と対照的だ。街道歩きをしている私がどちらに好感を持つかは言うまでもない。

そんな軽井沢も繁華街から離れると、緑に包まれた静かな別荘地が広がっている。木陰の中の道を進んでいると、ところどころに“売物件”の立札が差された区画もある。バブルの時期に別荘を購入した人が高齢になって売りに出している、と事情を聞いてなるほどと納得するのだが、私には縁のないこと。こんなところに住んでも二日で飽きる。


前回私がシダックスと勝手に命名した、きれいな円形に育つシダ植物はこの地域では珍しいものではなく、あちこちに自生している。そればかりか、別荘の道路沿いにきちんと植えられているものもあって、整然と並んでいる姿がなかなか美しい。これは垣根とは言えないし花壇とも呼べないが、植物を植えているという意味で生垣の一形態ではある。


長野県内の第三セクター鉄道路線、しなの鉄道の中軽井沢駅ホームにて。駅の線路の間に草が生えているのだが、横にいたおばさんが、「わぁ、こんなとこにそばの花が」と叫んでいた。なるほど、こんな身近なところにもそばがあるとはさすが信州。もし収穫する場合には、左右の安全確認を怠らないようにお願いします。

2019年9月

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