97区 中軽井沢~御代田
日本橋を出発して中山道を歩き始めたころ、私が自らに課したとりあえずの目標は軽井沢まで行くことだった。前回でその目標に達したのでこれにて終了、という選択肢もあるのだが、勢いに乗ってそのまま進むことにしよう。この先どうなるのかは我ながらわからない。ただ、どんどん自宅から離れるので、こま切れの旅は移動するための時間と交通費がたいへんになってきた。
軽井沢の先、信濃追分にある堀辰雄文学記念館を訪ねる。堀辰雄(1904~1953)といえば代表作は“風立ちぬ”だ、と文学史の知識としては知っているが、作品は読んだことがない。正確には、若いころに読んだかもしれないが読んだかどうかさえも覚えていない、というのが正しい。
堀辰雄が晩年に住んでいた旧家の離れに小さな書庫があるのだが、学芸員さんの説明によると、彼は念願だった書庫ができた時にはすでに病に伏しており、完成した書庫に入ることなく10日後に息を引き取ったという。生前に彼がどの本をどの棚に並べるかを図示して妻に渡したメモも残っており、書棚の本はその指示通りに並べられている。
風立ちぬ 今は秋・・・これは松田聖子。
風立ちぬ いざ生きめやも・・・これが小説の中の有名な一節だが、彼自身まだまだ生きたかっただろう。さぞ無念だったろう、心残りだったろう。
追分とは道が分かれる地点のことだが、信濃追分はそのまま南西方向に進む中山道と、北へ長野・新潟へ向かう北国(ほっこく)街道の分岐点だ。中山道を京都まで踏破するのもよいが、ここは北国街道を長野方面へ進むことにする。これは長野の善光寺参りに行くための街道でもある。
国道沿いの街路樹で、ミニトマトにそっくりの小さくて丸い赤い実が印象的なこの木はイチイ(一位)。木材に加工すると美しく、位が高い神官用の笏(しゃく)に使われたことからこの名がついたといわれている(諸説あり)。主に寒冷地で育つ植物なので、西日本や関東の平野部では見かけることがない。
このコーナーではかわいそうな名前を付けられた植物をたびたび取り上げてきたが、一位とはでき過ぎた名前を付けられた植物といえる。街路樹としてこのイチイを採用するかどうかが町の議会で検討された時には、「どうしてイチイを植える必要があるのですか。二位じゃだめなんですか!」と意見が出たらしい(うそです)。
畑で見かけたこれはなんだろうか。収穫されずに残った野菜だと思うのだが、茎が黄色だったり赤かったり、葉が紫だったり。緑・黄・赤と色違いがある野菜といえばピーマンやパプリカがそうだが、これはひょっとして信州特産の野沢菜が成長して変化したものなのだろうか。謎だ。
街道は御代田(みよた)町に入る。立派なお屋敷がある町なのだが、ふと下を見ると路面に孔雀があり、次には鳩があり、フクロウがあり、ペリカンがある。
上を向いて歩こうとか、しっかりと前を見て進めとかよく言われるが、何よりも大切なのは自分の足元をしっかり見つめることだと思う。でなければこんな小さな気配りに気が付くことはできない。と書きつつ、これはとぼとぼ下を向いて歩いていることの言い訳だな。
2019年10月
【追記】
道端にこんな立派な生き物もいました。ほら、ちゃんと足元を見ていないと蛇が足にからんでしまいますよ。と、これは蛇足でした。