100区(連載115回) 信濃国分寺~上田
上田駅近くの常田館製糸場に立ち寄る。製糸場といえば群馬県の富岡製糸場が有名だが、あちらが世界遺産にも登録されて観光地になっているのに対し、こちらは一般企業の敷地内にあるので、受付にお断りして入らせていただく。木造5階建ての建物は、繭を乾燥させて保管しておくために使われていたもの。「中は暗いですし、階段は急で危ないですけど5階まで上れます」と言われたのだが、その通り暗くて危険なので3階までで自重した。明治30年代に建てられたものだそうなので、既に110年以上が経っている。事業で使わなくなった建物も、産業遺産としてきちんと保存されていることに敬意を表したい。
製糸業はもうやっておられないのだが、カイコを飼わなくなっても従業員は解雇しなかった。そして、カイコが脱皮して成長するように、会社も脱皮して別の事業で羽ばたいておられる。すばらしい会社だと思います、笠原工業さん。
上田といえば真田幸村で有名な上田城に行かねばならないが、その歴史はさておき、真田といえば真田紐(さなだひも)、真田紐に似た形なのがサナダムシ。東京目黒にある寄生虫博物館で見た全長8m以上もあるサナダムシの標本は感動ものだったなぁ。と勝手に連想する私が興味をひかれたのは城の石垣と、屋根の上の鯱(しゃち)。
まずは石垣だが、上田城の南側、かつて千曲川の支流に面していた石垣は、つぎはぎだらけのがたがただ。これはけっして悪口ではなく、自然と闘い、敵と戦った痕跡が残っているということだ。地層がむきだしになっている箇所もあり、ここ数年チバニアン(古代の時代区分の基準に千葉県の地層が認定された)や年縞(湖底の地層から古代の気候が解明できる)で地層に関する自然科学の分野に首を突っ込んでいる者としては、ここ上田の地層についても一言。
石垣の端の部分を写真に撮ったが、その上半分は火山の崩壊による地層で、下は川の堆積物、その間に火山灰。真ん中の火山灰層が一番もろく、たびたび増水する千曲川によって削られた。そのたびに城の石垣の一部が崩れて補修され、あるいは城主が勢力を拡大して新たな石垣を増築し、が繰り返されてつぎはぎだらけの石垣ができたのだ。
城のてっぺんにある鯱についてだが、城内に展示してある真田氏時代の“しゃちほこ”のレプリカが、なんとも愉快というか奇怪というか、見慣れない姿だ。私がよく知る鯱の姿は、唐津くんちの13番曳山“鯱”で、今年は32年ぶりに修復されて輝きを取り戻した。しかし新型コロナウイルスの感染防止のため、毎年11月に行なわれる曳山巡行が中止になってしまい、まことに残念だ。来年を楽しみに待とう。
“しゃちほこ”のレプリカ
13番曳山“鯱”
“グランパスくん”
ところで、生物のシャチはイルカの仲間だが、漢字の鯱になるとどうして本物とは似ても似つかない姿になるのだろうか。おそらく、シャチを見たことのない人が想像で造形したのだろうが、それにしてもシャチと鯱では、ネコとドラえもんくらい違う。
日本一大きな鯱はおそらく唐津くんちの鯱だろうが、それより有名なのは名古屋城の金鯱だろう。ちなみに名古屋の会社で、鯱にあやかってシャチ印の旗で販売促進をして成功したのが、今や朱肉のいらない印鑑の代名詞となっている会社だ(本当の話です)。
上田城の横で、濠に囲まれて立派な門を持つこの敷地は上田藩主居館跡で、今は上田高校になっている。私の母校、佐賀県立唐津東高も唐津城の石垣に囲まれていたが(今は郊外に移転しています)、さすがにこの高校の格調高い雰囲気には負ける。こんな校舎で学べる学生はうらやましいとも思うけれど、そんなことを考えるのは大人になってからで、当の学生たちは楽しくかつ悩み多き青春時代をおくっているのだろう。
小諸から上田を経て長野に向けて、しなの鉄道に沿って進んでいるのだが、線路脇の柱に「停車?」とある。いや、そう尋ねられても私にはわからないのですが。
2020年11月