走らんか監査役
【新潟県】

125区(連載162回) 関山~新井

今は日本海に向かって北国街道を進んでいるのだが、新潟県に入ってからは赤く染まった道が続いている。このあたりの幹線道路は、冬の間雪が積もらないように、地下水をくみ上げて道路に流しているのだが、その水に含まれている鉄分が道路上で酸化して赤くなっているらしい。
 火山地帯の地下水なので鉄などの成分が含まれているのだろうけれど、地下の水脈は大量の地下水を冬の間流すだけの水量を蓄えているのだろうか、大量の雪が降ってそれが地下水に供給されるからいいのだろうか、とよけいな心配をしてしまう。それにしても、灰色のはずの舗装道路が鉄さびの色をしているのは、見慣れない光景だ。


妙高高原から新潟県の直江津に向けて、元信越本線だったえちごトキめき鉄道に沿って進んでいるのだが、二本木駅は珍しいスイッチバック式の駅で、鉄道ファンなら見逃すことができない大興奮の駅だ。新潟方面から来た列車はいったん駅の脇を通り過ぎてからバックして二本木駅に入り、さらに元の進行方向に変わって長野方向へと進む。なるほど、途中で列車の進行方向が変わるのはなかなかない経験で、おもしろいものだ。
 勾配が急だからこのような方法でしか山を登ることができないのだろう、と思っていたのだが、いざ来てみると、坂ではあるもののそれほどの急勾配ではない。これなら普通の駅でも良いのではないかと思ったのだが、近くにある日本曹達の工場に向けてかつては引き込み線があったそうだ。どういう風に線路が存在していたのかまでは調べていないのだが、その名残でスイッチバックの線路が残っているのではないだろうか、と勝手に想像している。


街道沿いにある上越市片貝縄文資料館に寄ってみる。ここは廃校になった小学校がそのまま資料館になっているのだが、開館直後の時間に玄関まで行ったところ、「ああ、すみません。今開けます」と、表で草刈りをしていたおじさんがやってきた。来館する客が少ないので学芸員兼管理人さんが草刈りなどの環境整備もしているようだ。小学校だった校舎の教室がそれぞれ展示室になっていて、「ゆっくり見てってください、空調がなくてすみませんけどね」と言いながら鍵を開けてくれた。
 たしかに、猛暑の昼間なので暑いのは暑いのだが、汗をかきかき教室を巡って見学する。展示物だけではなく、たぶん校長室だったのであろう部屋には学校行事の写真がそのまま残っていて、卒業生にとっては懐かしくてたまらないものだろう。小学校が廃校になるのは少子化や過疎化のため、やむをえないことでも、建物が壊されることなくそのまま資料館としてこのように生かされているのは良いことだなぁ、と思う。
 廊下には、この付近で発掘された縄文土器が無造作に並べられている・・・のではなく、子供たちが土器をまねて作った作品を乾かしているところで、なるほど小学生が縄文時代の勉強することにも使われているのだな。
 帰り際に、おじさんに「このあとも歩いていきます」と言うと、街道の案内地図をくれたのでそれを参考にさせていただいた。どうもありがとうございます。


街道では、一里塚をはじめとしていろいろな塚に出会うのだが、新潟県に入ってからは“筆塚”をよく見かける。使い古した筆記用具(昔は主に筆だったのだろう)を供養するための塔だと思うのだが、筆塚が多いということは、この土地の人はそれだけ勉強熱心だったことの証なのだろう。長野県も新潟県も昔から民度が高かったというか、今は教育県というか、そういう地域だったことがわかる。


今日はトキめき鉄道の新井駅で終わりにするのだが、気がつくと、乗ろうと思った列車の発車時刻まであと数分しかないではないか。前回の関山駅では一時間以上も待ったので、もうそんなことはいやだ、と本気で駅まで走って、なんとか間に合ったのでした。ぜえぜえ。

2024年10月

今回の走らんかスポット