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私の似顔絵
(辛亥新春、昭和58年に
描いてもらいました。) |
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会長コラムへようこそ。
今月のお話は「食育」です。
食の大切さが「食育」という形で語られている現代ですが、昔の日本にも「食育」の原型がありました。
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秋には珍しく暖かい日。 |
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誘われるままに、佐賀県教育委員会主催の「教育問題」タウンミーティングに出席する。 |
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司会者は県の職員さん。 |
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冒頭から、「食育」をテーマに意見交換がはじまる。“食”に携わる者として、関心をそそられる。発言は |
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「箸も満足に使えない子供が多い。」 |
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「親子の対話もなく、一家団欒の場がない。」等々 |
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さて、“食育”とは何だろう。「食」を通しての徳育なのだろうか。 |
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勿論、人類は食がなければ存在しない。 |
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人間の歴史は、石器時代に始まる。縄文、弥生から古墳時代へ、狩猟から農耕へ、さらに火を利用することを知り、焼く、煮る、蒸す等々の加工へと食生活は発展していっただろう。 |
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これらの歴史を経て、有史時代に入り、「食」への関心は深まっていく。 |
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中国の古典に、 |
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「それ礼の初めは、これ飲食に始まる。飲食男女は、人の大欲存す」 |
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― 礼記、礼運篇 |
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「食色は性なり」 |
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― 孟子、告子篇 |
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と、食欲は性欲と並んで、人類、種族保存の本能的な存在と認めるとともに、これを如何に律していくかをとりあげ、 |
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「なすところが、礼に合致すれば、その情は美なるものであるが、礼にもとれば悪である」(礼記 礼運) |
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と説いている。 |
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日本ではどうなのだろう。 |
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古事記の世界では、お酒は出てくるが、いわゆる“食”は登場しない。しかし、万葉集になると、急に賑やかになり、鰻を食べると精がつくとか、醤、酢を使って鯛を食べると珍味だ・・・等々、奈良の大宮人は食生活をエンジョイしている。 |
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ところが、平安時代に入ると、枕草子、源氏物語には残念ながら急に食にまつわるものが減少する。これは、佛教の影響が大きく、食欲、性欲をあからさまに表現することは恥ずかしいものと考えていたためだろうという。 |
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その佛教は、空海、最澄の時代から、法然、親鸞、道元等へと中国の佛教を咀嚼して日本的な佛教を確立していく。 |
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道元
(1200〜1253) |
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永平寺を開いた道元は、日常生活すべてが佛の道への対象となるとし、特に食事を精進料理として宗教的価値のある存在へと昇華させる。 |
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その過程を、道元の著書、典座教訓、赴粥飯法から学ぼう。 |
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青年道元は、貞応2年(1223年)、宋に入国、浙江省の寧波(にんぽう)の港に滞在していた頃、一人の老僧が訪れてきた。その老僧は阿育山で典座(禅寺で修行する僧たちの炊事係)を勤めているという。道元は、この老典座との対話の中から、彼の宗教生活の中での一大転機を迎えることになる。 |
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道元「どのようなものが文字か。」 |
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典座「一二三四五じゃ、別に仔細はない。」 |
道元「弁道(修行)とは何か。」 |
典座「(へん)界曽て(かく)さず。」―この世のあまねく至るところすべてあらわれているものみな弁道(修行)の対象となる。と答える。 |
弁食の様子
参考文献「禅と食」より |
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かくて道元は豁然(かつぜん)として、日常の行住坐臥、只管打坐さらに典坐(修行僧の炊事係)の仕事も亦、佛道修行の道として捉える。 |
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食事を作る人(典坐)の心構えとして、 |
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喜心 − 喜びをもってことを行う心 |
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老心 − 父母の心。我が子を思う心。 |
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大心 − 大山・大海のような、どっしり、ひろびろとした心 |
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の三心を挙げる。 |
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一方、食べるものの心得として、次の「五観の偈(げ:佛道の真理を説く詩)」を唱えて、箸をとりあげる。 |
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一つには功の多少を計り、彼の来処を量る。 |
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(一つには、加えられた手数のさまざまを思い、ありがたきめぐみに感謝する。) |
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二つには己が徳行の全欠を忖って供に応ず。 |
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(二つには、おのれの徳行がそれを受けるにふさわしいものであるかと顧みて頂戴する。) |
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三つには心を防ぎ過を離るることは、貪等を宗とす。 |
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(三つには、心すこやかに、過ち少なく生きるための要は、貪りの心にある。) |
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四つには正に良薬を事とするは、形枯を療ぜんが為なり。 |
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(四つには、今、良薬(たべもの)をいただくのは、飢と渇きをいやすがためである。) |
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五つには成道の為の故に、今此の食を受く。 |
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(五つには、仏弟子としての正しい生き方を全うするために、今この食を頂戴する。) |
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私も新入社員教育に、坐禅を組み、朝食を頂いたときこの偈を唱えたが、心が落ち着くものである。 |
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ここに、食事が、単なる生きるための“もの”から、自らの人格完成の修行の時・場となる。以来、精進料理として、茶の湯の普及とともに、和食の原点として尊重され今日に至る。 |
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私たち凡人には、到底及びもつかぬ境地ではあるが、少なくとも、食事の前、後には |
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“頂きます” |
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“御馳走さまでした” |
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と、食育の第一歩として、ほんのちょっぴりでも感謝の心を持ちたいものである。 |
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参考文献 |
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「日本の食文化」平野雅章 /中公文庫 |
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「食べる日本史」樋口清之 /朝日文庫 |
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「作る心食べる心」 ―典座教訓・赴粥飯法・正法眼蔵示庫院文― |
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中村璋八・石川力山・中村信幸 訳著 /第一出版株式会社 |
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「禅と食」小倉玄照 /誠信書房 |
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図書紹介 |
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佐賀県食育推進研究会と佐賀県栄養士会とが、食育指導者向けの総合テキスト、佐賀発「食で育(はぐく)む生きるちから」を発刊しました。 |
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このテキストは、栄養士会の会員をはじめ、大学教授、精神科医をふくむ医師、歯科医師、吉野ヶ里遺跡の発掘研究で有名な考古学者の高島忠平佐賀女子短期大学学長や菓子製造業の社長、農業関係者など三十一人が執筆し、「いのちと食」「食の歴史」「食と農」「生活と食」など7章に分かれ、栄養や体と心の健康はもとより、食材から食文化に至るまで総合的に解説した指導者向けの教科書です。 |
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テキストは一冊二千円(税込み)。(社)佐賀県栄養士会で販売しています。 |
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