私の似顔絵
(辛亥新春、昭和58年に
描いてもらいました。)
会長コラムへようこそ。

あー “うまい“ 。“オイシイ”
ちょっとしゃれた言い方で、
“カンロ、カンロ”。
その甘露を探索してみました。
ごゆっくり、どうぞ。
 
 カンロ、甘露
 いかにも、美味、優雅な響きをもった言葉である。カンロ飴、小魚などの甘い佃煮、甘露煮、梅の実を紫蘇の葉で包んで砂糖漬にした甘露梅などの味が食欲を誘う。。
 私ども、醤油に縁のあるものにとっては、『甘露醤油』がピンとくる。日本農林規格(JAS)の醤油の分類では「再仕込みしょうゆ」であるが、一般的には、甘露醤油の方が通りもよく、その品格にふさわしい。
 再仕込み醤油とは、
「醤油のうち、大豆にほぼ等量の麦を加えたものを醤油麹(こうじ)の原料とし、かつ、もろみは食塩水のかわりに生揚げを加えたものを使用するものをいう。」
云わば、一度できあがった濃口しょうゆに、さらに麹を仕込んで熟成させる。醤油の製造を二度繰り返すのだから、醤油の色はより艶やか、とろりとして味も香りも濃厚で、刺身やお寿司、かけ醤油に向いており、山口県、山陰、九州の一部で親しまれている。
 宮島醤油でも、甘露醤油を発売したのは昭和30年、爾来50余年、現在も「甘露」として息の長い商品として愛用して頂いている。
初期のラベル
現在のラベル
 甘露醤油の発祥は、山口県は柳井地区と云われており、その由来を尋ねてみた。
 天明年間(1781〜1788年)、時の岩国藩主吉川公は、柳井津に美味なる醤油あり、との報に接し、これを所望。そこで、とくに醸造の妙技を凝らした再仕込み醤油を献上したところ、その豊潤な味と香りに、吉川公は思わず「甘露、甘露」と歓声をあげられた。以来、「甘露醤油」と称され200年、明治に入り、その美味は「汽笛一声、新橋を」で有名な鉄道唱歌の中で、「風に糸よる柳井津の、港にひびく産物は、甘露醤油に柳井縞、からき浮世の塩の味」と唱われる程、有名であった。柳井では今なお伝統を引き継ぎ、昔と変わらぬ製法で、数軒の醸造元で甘露醤油が作り続けられている。
 甘露醤油という語を耳にする度に、約200年前、工程を繰り返し品質の向上をはかるという発想と技術とともに、そのネーミングの卓越さに感心させられていた。このコラムに甘露を取り上げ、想いをめぐらせていたある日、偶然、煎茶道の小川流家元さんの随筆にめぐりあった。題して、「中国名茶の詩を尋ねて − 蒙頂甘露茶」。
 平安時代の名僧円仁(えんにん)は天台宗 最澄に師事、838年唐に渡り、幾多の困難を乗り越え密教の奥義を究めいよいよ帰国するに際し、皇帝から「蒙頂茶」を贈られ、大切に持ち帰ったという。
 このお茶は、中華料理で名高い四川省の山に産する名茶で、その多くが山で採れるため蒙頂茶と云った。その山の美しさは峨眉山と並び称され、標高1400m、平均気温15℃、降雨量1800〜2000mm、霧が多く湿潤で、お茶にとって最適の環境といわれる。
 この蒙山での採茶の始源は、西漢(西暦、紀元前206〜25)の終わり頃、甘露普慧禅師が茶の木、7株を頂上に植えたのが始まりとのこと、それ程までに蒙頂茶の歴史は古く、甘露大師がその始祖とされたことから「蒙頂甘露茶」の名称が起こった、と云う。
 中国の古い書に「蒙頂甘露茶は、険しい山岳に育ち、山中には蛇や虎、狼が住んでいるところで採れて百疾に効き、茶味は甘く、清々しく、色は黄、茶の香りは永久に散らず」という。それ程の名茶である。今なお、一般的に「蒙」のついたお茶は高級、価値があるとのこと。
 となると、甘露というネーミングは、気が遠くなるほどの歴史があることになる。
 甘露、その語源を辿ってみた。
 「かんろ」は梵語、アムリタの漢語訳。アムリタの意味は「不死」。インド ヒンズー教の神話では、神々がこの世のはじめに大海を撹拌して得た不死の霊液。これを飲むと、苦悩は去り、長寿、死者をよみがえらせる。
 これが中国にわたり、天子が仁政を行うめでたい前兆として、天から降ってくる霊液、霊酒、という伝説となる。佛教では、(トウ)利天から降る甘味のある霊液、霊酒として、よく苦悩を癒し、不老不死、最高の滋味をもつものとされ、いろいろのお経、説話に引用され、佛の教えを喩えて「甘露の法門」とさえいう。
 法華経観世音菩薩普門品、いわゆる観音経では、観音さんの加護の力を讃え、
「甘露の法雨をそそぎて煩悩の炎を滅す」
 大無量寿経では、極楽浄土には数多くのすぐれた浴池があり、いずれも
「八功徳の水(澄浄・清冷・甘美・・・等八つの特性のある水)、湛然として満ち、清浄香潔にして、味わい甘露の如し」と、
まさに華麗、優美、神秘的な甘美の世界である。
 いささか堅い話になったので、少しくだけたお話を紹介しましょう。
 鎌倉時代の説話集、宇治拾遺物語の一節。
 「昔、唐の国の僧が印度に行き、あちこちを歩きまわっていました。ある山の片側に大きな穴があり、この穴に牛が入っていきました。暗い穴の道をくぐりぬけると、急に明るいところに出ました。見渡すと、この世にはないような別天地で、名も知らぬ美しい花が咲き乱れています。牛がこの花を喰べているので、僧も
「この花を一房とって食いたりければ、うまきこと天の甘露もかくあらんとおぼえ」ついついお腹一ぱい食べましたので、肥満体になってしまいました。あまりの美味さに恐ろしくなって、今きたばかりの穴へ帰ろうとしましたが、入るときは容易に通った穴も、身体が太くなったため通りにくく、やっと穴の入口までたどりつきましたが、どうしても出ることができません。穴の前を通る人に助けを求めても、誰も聞き入れてくれません。僧は数日後、とうとう死んでしまい、その後、石となって穴の口に頭をさし出したようになっていました。
 ご想像の通り、眼前の欲望に負けてはいけませんよ、という東洋のイソップ物語だが、現在にも通じるような話。
 私たち宮島の商品づくりも、目先にとらわれず、じっくり検討し、宮島の商品、調味料を使えば、カンロ、カンロと舌鼓をうって頂けるように努力しますが、どうか皆様、健康であればこそおいしい“食”を楽しめます。
 お大事に!
 参考文献
日本佛教語辞典/岩本裕
日本の老舗207/茶話雑話 小川後楽
電脳柳井観光案内所 特産品
 協力 / (有)中川茶園