|
|
|
|
|
|
|
|
私の似顔絵
(辛亥新春、昭和58年に
描いてもらいました。) |
|
|
会長コラムへようこそ。
秋たけなわ。
そろそろ晩秋。皆様お健やかにお過ごしのことでしょう。
|
|
|
|
|
|
↑田植えをするHP担当 ホリウチ |
|
|
|
|
|
|
天く、馬肥ゆる秋。 |
|
|
澄み切った秋空、實りの秋を云い得て妙。 |
|
|
しかし、本来の意味は、中国のきびしい現実を警告する言葉である。 |
|
|
古代の中国は、北方民族の匈奴に、たびたび侵されていた。匈奴の拠点は、中国の北に広がる広大な草原なるが故に、馬は貴重な交通手段であり、強力な武器でもあった。春と夏、草原で腹いっぱい草を食み、馬はマルマルと肥える。しかし、冬ともなれば草は枯れる。彼らは、馬にまたがり弓矢を駆使し冬の糧(かて)を求めて南下し、中国に攻め込んでくる。 |
|
|
だから、中国の人は 秋が来た、匈奴が攻めてくる。防戦の準備はよいか、と自らに警告する。 |
|
|
天肥馬の語源とはウラハラに、今日も亦、平和な日本の秋空は晴れ渡っている。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
灯火親しむの秋、スポーツの秋、そして、実りの秋。秋空の下の運動会、走り回った後にほうばったおにぎり、柿、栗・・・。 |
|
|
|
全国各地の“鎮守の森”では、新しいお米の収穫を、♪ドンドンヒャララ・・・と笛、太鼓でお祝いする。今年は残念ながら台風の被害もあっただろうが・・・。 |
|
|
伊勢大神宮の収穫祭に“神嘗祭(かんなめさい)”がある。 |
|
|
毎年10月7日、宮中で天皇が伊勢神宮を遥拝し、皇大神宮、豊受大神宮に幣帛及び野荷(のさき)の調絹(つきのきぬ)などをお祭りする。 |
|
|
次いで、“新嘗祭(にいなめさい)” |
|
|
天皇が新穀を天神地祗(ちぎ)にすすめ、またこれを食する祭儀。古くは陰暦11月の中の卯の日に行われた。 |
|
|
瑞穂(みづほ:新穀のみずみずしい穂)を天地の神々に奉り感謝しお祝いする。“みずほ”と云えば、今は銀行の名前がすぐ浮かんでくるが、本来は「大八洲(おおやしま)豊葦原の瑞穂国」とは、日本の美称である。 |
|
|
|
|
|
唐津に「菜畑遺跡(なばたけいせき)」という、日本最古の稲作の跡がある。その頃の古代の人たちは、自然の恵と力を信じ、稲穂の実が成る、実る、たわわに稔る、瑞穂国を夢見ながら稲作に勤しんでいたのだろう。 |
|
|
そこには、大自然にある霊魂を信じ、この自然の生成の中に自分の生命・生活も融和している気持だったのではなかろうか。 |
|
秋ともなれば、天神・地祗、山の神、田の神のお加護と、村中挙げての労働によりこうして豊作の秋を迎えることができたことに感謝し、お互い喜びあったことだろう。 |
|
|
|
|
|
|
この心が、新嘗祭として今日に伝わる。 |
|
|
そして、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるため、国民の祝祭日に関する法律(昭和23年)によって新嘗祭は「勤労感謝の日/11月23日」となって生まれ変わった。 |
|
|
勤労感謝の日は「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」と定める。 |
|
|
|
|
|
11月23日、勤労感謝の日。 |
|
|
新しいお米も食卓に上ることだろう。 |
|
|
自然の恵み、汗を流された人々に感謝し、古代人の心を心として、一日を過ごしたいものである。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
参考文献 |
|
|
中国故事物語 / 後藤基巳 外 編集(河出書房新社) |
|
|
働くことの意味 / 清水正徳 著(岩波新書) |
|
|
広辞苑 / 新村出 著(岩波書店) |
|
|
|
|
|
|
|