私の似顔絵
(辛亥新春、昭和58年に
描いてもらいました。)
会長コラムへようこそ。

 今年は、乙(きのと)酉(とり)である。十干十二支は、60年でひと廻りで還暦だから、昭和20年の乙酉の年に戦争は終わったのだ と考えると、忽然と“水炊き”の味が蘇ってきた。

 昭和20年 当時、唐津中学4年生、15歳。
 その年の2月から、昭和19年の学徒勤労令に基づき、長崎県の大村第21海軍航空廠(こうくうしょう)、機械工場で海軍の戦斗機、紫電の部品作りに励んでいた。
 朝7時始業、原則として19時終業。昼夜2交替制。日曜日は隔週で休日、といった労働条件。しかも、宿舎は植松(市内)で、工場は山間に疎開していたので、往復に約2時間かかった。
 ひたすら、起きる、食べる、働く、食べる、眠る だけ。しかし、戦争には勝たねばと、昼夜を問わぬ空爆の恐怖に脅え、睡魔、空腹に耐え、ノミ、シラミに苦しみながら頑張った。
 しかし、こんな厳しい生活の中でのただひとつの楽しみは、昼夜勤が変わる、土曜の午後から、月曜の夕方までの休日に、順次、帰宅を許可されることだった。
 当時の私の「動員日誌」には、こう記している。
「7月27日(金)晩、帰省の許をうける。
 7月28日(土)晴。
 掃除寄宿舎内勤務、2時に汽車にて車中の人となる。早岐、久保田の待ち合わせで、イライラする。
 唐津線の最終列車は眞の闇を轟々と走る。眼が覚めたら相知だった。山本、鬼塚あたりの駅の間の長いこと・・・。嬉しい晩めし、みんなに囲まれながら・・・」
夕食をとる。
 この日、母は“水炊き”を準備してくれた。
 当時は、食糧不足、とくに肉類の不足は著しい。一般の家庭と同じように、母は庭で数羽の鶏を飼って、鶏卵と、鶏肉で動物性蛋白質を補っていた。“水炊き”は最高の御馳走だ。厳しい労働から解放され一家団欒、それに貴重な白米のゴハンを、腹いっぱい詰め込む。腹が張ち切れんばかりに喰いまくった。ぐっすり眠った。ところが真夜中になると、突然すごい腹痛、下痢、吐瀉をくり返した。母も一生懸命、看病してくれた。
 若いことは素晴らしい。翌朝はすっかり回復、伯母や恩師を訪ね、楽しい一日を過ごす。そして翌朝は「心残りなく出発。諫早で2時間待たされたが、晩から夜勤に出勤」している。
 七十路も半ば、印象に残るおいしい食べものは数多い。しかし、最も強烈な感覚が残っているのは、この“水炊き”の味である。日本は必ず勝つと信じ込み、命ぜられるままに働いた6ヶ月、当時の純真無垢な少年時代を、今は“いとおしく”思えてならない。
 と同時に、この体験がその後の私たちの人格形成に何をもたらしたであろうか。
 戦後還暦の今、静かに模索している。
   第21海軍航空廠と学徒勤労動員
 大正8年、佐世保海軍工廠造兵部の中に飛行機工場が設けられた。昭和9年9月に航空機部として独立、日華事変の激化に伴い移転拡張され、昭和13年、佐世保市日宇工場が完成、さらに昭和16年10月に大村市に第21海軍航空廠が設立された。
 当時、東洋一の航空機生産規模を誇り、昭和18年12月には、零式水上観測機・零式練習用戦闘機・新式艦上攻撃機「流星」の製造組立をすることになり、漸く19年4月に2機を完成した。
 しかし、いよいよ本格的生産に入ろうとした昭和19年10月25日、中国 四川省成都の基地を飛び立ったアメリカ空軍のB29爆撃機、約100機の編隊は、済州島・九州を約1時間半にわたり空襲した。
 それまで、日本の三大航空廠の一つと言われた大工場は一挙に壊滅、死者300余名という。この空爆により、すでに勤労学徒動員として働いておられた私たちの一年先輩、旧制唐津中学4年生2名と、鹿島高等女学校の学徒6名が亡くなられた。
 本廠を焼かれた工場は、その後、宿舎から5粁(km)離れた萓瀬という山間に分散した。私たちは、この空襲のあった4ヵ月後の昭和20年2月に先輩の後を追ってこの第21航空廠で働き、終戦を迎えることになる。
 当時、この航空廠に勤労動員されていた中等学生は、佐賀県から、唐津、小城、鹿島、三養基の各中学、鹿島高等女学校、鹿島立教実践校、鳥栖工業、武雄高等女学校の8校 約1,800名。その他に長崎県14校、熊本県4校、大分県6校、それに高等女学校卒業の女子挺身隊が九州全土から集まっていた。
 終戦時、日本全土の動員学徒数は1,927千人、女子挺身隊は472千人と言われている。
動員日誌
自 昭和二十年二月二十日
至 昭和二十年五月十一日
自 昭和二十年五月十二日
至 昭和二十年八月十六日
佐賀県立唐津中学校
大村市植松第十二工員寄宿舎
第二寮 唐中隊二十二号室
宮島傳二郎
過酷な労働、生活条件のもとにあって昭和20年2月20日から終戦の翌日、8月16日までよくぞ毎日欠かさず日記をつけていたものである。
当時15歳、純心無垢な少年は、日記を綴ることで自らを鼓舞していたのだろうか。
 参考文献
『事典 昭和戦前期の日本、制度と実態』 百瀬 孝 著/ 吉川弘文館
『郷土史誌 末羅国』 松浦史談会 編
  〜 「旧制唐津中学校の学徒勤労動員」 岩松 要輔 著 〜