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私の似顔絵
(辛亥新春、昭和58年に
描いてもらいました。) |
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会長コラムへようこそ。
年が明けたと思ったら、もう2月になりました。
この冬は、ことの外きびしい寒さ、そして大雪。被害を蒙られた方々には、心からお見舞い申しあげます。 |
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きさらぎ(会) |
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わが社の女性職員に尋ねる。 |
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「そろそろ2月だね。『きさらぎ会』は開いてるの?」 |
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「ハイ、おかげさまで・・・楽しみにしています」 |
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と、さわやかな笑顔で答えが返ってきた。 |
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「きさらぎ会」は、もう50年以上は続いているだろう。本社の女性職員の懇親会である。勿論、参加したことはないが、微笑しい雰囲気のようだ。 |
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その名前の由来は、ただ発足したのが2月「きさらぎ」だったというだけのようだが、いい感じである。 |
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「きさらぎ」快く響き、美しい言葉である。 |
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はてな きさらぎ とは。 |
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語源として、よく云われるのは、2月はまだ余寒きびしいから衣を重ねる。だから衣更着という。もっともらしい解釈だが、陰暦の2月は、今では3月だから季節感としては少しずれている。どうもこの説には肯けずにいた。 |
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それよりも、そろそろ暖かくなる。草木が更生するという意味での生更ぎ、陽気がさらに加わるから氣更来、草木の芽が張り出すから木草張月、等々の説が正しいようだ。これなら若々しい女性のグループ名には相応しい。 |
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如 月 |
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さて、「きさらぎ」を漢字では、如月。 |
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数冊の辞書を渉猟したところ、中国の古代の辞書、爾雅(じが)に「二月爲如」、2月を如となす、とあった。 この辞書は、周公(紀元前約900年)の作とも云われているから、3千年前から中国では2月を如月と称していたことになる。 |
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"如"とは、清の時代の懿行という学者の義疏(注釈)によれば、 |
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「如者 隨從之義、萬物相随而出、如如然也」 |
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如は、從うという意味、萬物が(ひとつが動き出すと)次々に隨(從)って動き出す。その動き出す状態と解されている。 |
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陰暦2月は、萬物、自然、草木・・・森羅万象、すべてが動き出す。 |
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中国の如月、日本のきさらぎはともに2月、春に向って蠢動する月なのである。 |
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願はくは・・・ |
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願はくは 花の下にて 春死なん |
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そのきさらぎの 望月の頃 |
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西行法師 |
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西行(1118−1190) |
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花をこよなく愛した西行、花にまつわる数多くの中の有名な一首。 |
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西行が最期を迎えた
弘川寺(大阪府) |
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あくまでも花を愛し、佛に仕える僧としての道を追求する身、その願い通り、西行は文治6年(1189)2月16日、満月(望月)の翌日、旧暦2月16日、まさに花盛りのもと、73歳の生涯を閉じる。 |
陰暦、2月の望(もち)月の日、15日は釈迦入減(涅槃)の日、お寺では涅槃会が営まれる。その翌日、西行は、自ら詠いあげた通りの一生を終える。 合掌 |
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仏には桜の花をたてまつれ |
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わが後の世を人とぶらはば |
西行法師 |
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如月から弥生へ |
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時は流れる。如月から、弥生へ。「弥」は、ますます・いよいよ、「生」は、木や草がますます生い繁る月へ、そして桜花爛漫の頃を迎える。 |
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