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私の似顔絵
(辛亥新春、昭和58年に
描いてもらいました。) |
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会長コラムへようこそ。
春が来た。Spring has come!
春眠暁ヲ覚エズ、
猫はネズミを捕ることを忘れる。
今回は喧騒な21世紀をしばし離れて、静かな春宵を味わいましょう。 |
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友達になろうよ。 |
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今年成人式を迎えた孫娘が5〜6才の頃だったろうか。大宮に住んでいたので、上京の際、2人の孫娘と、近くの公園で遊ぶのが楽しみだった。 |
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春のある日、小学校5、6年生ぐらいの女の子が、孫たち二人に近寄ってきた。 |
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「お友達になろうよ」 |
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一瞬、アレと思ったが都会の子はこんな云い方をするのかな、と妙にうなずく。 |
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孫たちは、そんなことはお構いなく、すぐ打ちとけて、3人揃って、ブランコへ走る。思い思いに力いっぱい漕ぐ。春風を切って楽しげだった。 |
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ブランコに飽きたのか、滑り台、鉄棒とたわむれる。やがて春宵迫り、バイバイ。振り返ると、ブランコはまだ、かすかに揺れていた。 |
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春 宵 |
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やるせない「春夜」の情緒をとらえる名詩。 |
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春宵一刻値千金 |
春の夕暮れの一刻は千金の値うちがある。 |
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花有清香月有陰 |
花は清香を放ち、月は朧にかすむ |
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歌管楼臺声細細 |
詩歌・管弦に賑った楼台も静まり |
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鞦韆院落夜沈沈 |
鞦韆(ブランコ)に乗る人もない、中庭の夜はしんしんと更けゆく。 |
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宋 蘇軾 |
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酒宴を終え、もの憂げな春夜に一人たたずみ、ブランコに戯れていたであろう女性への思暴を、それとなく吐露しているのだろうか。 |
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宋 蘇軾(1036-1101) |
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四川省眉山出身。宋代の傑出した文人。官僚。字は子瞻、号は東坡。 |
美食家としても知られ、中華料理の東坡肉(トンポーロー)を発明したと言われている。 |
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難しい字だが、「鞦韆(しゅうせん)」とは、ブランコのこと。 |
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この詩聖、蘇軾の情緒豊かな「春夜」にブランコが登場するとは意外に感じられる。しかし、すでに中国では漢の時代から、地方の遊牧民族が、春になるとブランコで遊ぶのを真似て、上流社会の遊戯として流行していたという。 |
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色とりどりの美しい縄を木にかけ、着飾った女性が、ブランコに乗り、押したり引いたり、春を楽しんだ。ブランコは女性の遊戯、俳句では“春”の季語となっている。 |
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鞦韆、ブランコ、半仙之儀 |
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鞦韆のルーツをたどってみた。 |
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古くは、唐の玄宗皇帝の時代(710年頃)の記録によると、宮中では冬至から105日の日に、火を使わず煮炊きをせず冷たいものを食べる行事、「寒食の節」が催されていた。 |
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この日は競って鞦韆を立て、宮嬪(官女)達に戯笑させ、宴会を盛り上げた。皇帝はこれを「半仙の儀」 ― 半分は天の仙人になったような ― と呼んだといわれる。 |
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云わば、儀式の後の懇親会での演し物だったのだろうか。 |
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少し艶っぽくなるが、世界四大奇書に数えられる「金瓶梅」にも登場する。 |
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主人公、西門慶を取りまく女性たちがブランコで遊ぶ。 |
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お庭に美女たちうち集い |
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ぶらんこゆらゆら大はしゃぎ |
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朝日ぽかぽか暖かく |
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春風そよそよ垣の内・・・ |
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二人の女性が向いあってブランコに乗る。 |
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笑ってはダメよ、とはしゃぎながら揺れるうちに笑いこけ、危く滑り落ちそう・・・また大さわぎ・・・ |
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男たちは、それを見物しながら楽しんだのだろう。 |
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名画 「生きる」 |
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さて日本ではブランコ、広辞苑によると、ポルトガル語か、と解説してある。となると、鞦韆というレッキとした漢語があるのに何故ポルトガルから・・・という疑問が湧いてくるが・・・。 |
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幸いに、日本ではブランコは、女性専用ではなく子供専用、いわゆる、3点セットのひとつとして、子供たちの大好きな遊具となって大活躍である。 |
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しかし何といっても、私たちの脳裡には、戦後の黒澤 明の名画「生きる」で、小雪が降りしきる中 公園のブランコに坐り、静かに揺する志村
喬のシーンが焼きついている。 |
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志村 喬扮する某市役所の市民課長、渡辺はガンであと半年の命と告知され、恐れおののき、嘆き悲しむ。しかし残された人生を力いっぱい“生きよう”と今までの惰性的な勤務から一念発起、かつて土木課にまわした新公園建設陳情書を取り上げ市役所内の問題にもひるまずに立ち向い、街のボスの脅迫にもめげず献身的な努力を続ける。そして自らの死を意識しつつ、粉雪けぶる夜更けに、ひとり自らの手で完成した公園のブランコに乗り、口ずさむゴンドラの唄。 |
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いのち短し 恋せよ乙女 |
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朱き唇 あせぬまに |
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熱き血潮の 冷えぬまに |
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明日と言うの日の無いものを |
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歌い終えた彼は、静かに生命を終える。 |
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名匠 黒澤明、名優 志村喬は、人間の尊厳、人生の尊さを教えてくれた。昭和27年、大学生最後の年、福岡の映画館でこの「生きる」を見終えたときの感動は、今なおあざやかに蘇ってくる。そして考えさせられる。 |
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参考文献 |
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中国名詩選(下)/松枝茂夫 編(岩波文庫) |
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字通/白川静 著(平凡社) |
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中国古典文学体系33 金瓶梅 上/小野忍、千田九一 訳(平凡社) |
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黒澤明 夢のあしあと/黒澤明研究会 編(共同通信社) |
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黒澤明と「生きる」/都築政昭 著(朝日ソノラマ) |
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