私の似顔絵
(辛亥新春、昭和58年に
描いてもらいました。)

会長コラムへようこそ。

 今月は、商標について考えてみました。
 私ども宮島醤油は、自社の商品に亀甲宮(キッコーミヤ)のマークをつけています。
 この商標の由来、意味するものを考えてみました。
商標
 
古いラベル
「肥前国唐津町」とある
登録商標
商標のおこり
 商標の起源を特定することは難しい。江戸時代も中期、元禄時代ともなれば農業を中心とした経済から商業経済へ発展していく。城下町には市が立ち、店を構えると人々は集まり、街々は賑わう。それぞれの店は集まってくる人たちに何を売っているのかすぐ分かるように、商(あきない)の目印が必要なので、その商品特有のものを店頭に掲げて、宣伝につとめる。
酒屋の看板
味噌屋の看板
醤油屋の看板
 たとえば酒、醤油、味噌といった商品を表す「看板」についていえば、
 酒の場合、酒林(サカバヤシ)あるいは、験の杉(シルシノスギ)と称して、杉の葉を毬(まり)のようにした杉玉を吊し、酒蔵酒屋の看板とした。酒と杉は、酒の神様、大神神社の神体山である三輪山が杉を神木としたこと、酒樽は杉で酒樽をつくり、酒の香りをたかめる等、密接な関係があるためだろう。
 味噌屋の看板は、味噌をうつすためにつかう切匙(セッカイ)をかたちどったものを目印としている。セッカイとは、飯杓子をタテに半分に切った形で、擂鉢の内側についたものを、かき落とす道具で、「おせっかいをする」余計な世話をすることの語源で、必要以上に擂鉢をこすることからきた俗語だという。
 醤油屋の目印は、醤油を容れる壷の形を板でつくったものであった。
 酒屋の酒林は、現在も酒の醸造元では見うけるが、醤油、味噌では、今は全くといってよいほど、見られなくなっているのは淋しい。
版画 森村玲氏 作   江戸時代のみそ・しょうゆ問屋
商標
 いよいよ商売が繁盛し、競争が激しくなるにつれ、人をして、自らの商品の品質の良さを識別できるよう、また少しでも目立つよう、今日で云う「商標」のようなものが考案された。
 従って、そこには斬新な図案、視覚、聴覚に快く感じさせるものは勿論のこと、醸造元の創業の理念、由来、技術、等々、すべての「想い」が秘められており、長い歳月を経るに従い、一種の風格さえただよってくる。
 
醤油の商標には、亀甲形、山形、丸形、富士等が多い。
亀甲形 山形 丸形 富士
 
 まずは亀甲、
 キッコーマンに代表される、この商標は「武蔵国皿沼村で、油、しょうゆを販売していた鈴木万平が考案したものを文政3年(1820)頃、茂木佐平治家に譲渡したもの」と伝えられている。
 その由来は、「わが国最初の大軍神経津主神を祭祀した下総国大現郡亀甲山香取神宮の山号である「亀甲」を戴き、その神宝「三盛亀甲紋松鶴鏡」の裏面にある亀甲を図案化し、更に、亀は萬歳の仙齢を有して天品自ら神遷の格を占むる、という故事に因って「萬」の字を記した」という。
 亀甲文様は、平安時代以降、日本の模様の基礎であり、江戸時代にはの中に文字をいれるのは、かなり使われていたようだが、亀甲萬は、「めでたさ」を見事に表現した言葉であり、落着きと優雅さをかねたデザインは今なお立派に通用し、その歴史と伝統により更に品格を備えている。
 
 山形は紀州(和歌山県)公の紋所から採ったもの。
 ヤマサの初代浜口儀兵衛は観音菩薩の信仰が篤く、常に家業の繁栄を祈っていたが、一心に観音を念じていたときに、夢の中にヤマサのマークが浮かんだという。
 
 次いで丸のマークは、竜野の円尾家の○。藩政時代、揖保川の東にあったのでヒガシマル(○の中に東の文字) 東は昇天、○は旭日、旭日昇天の意という。
 
 富士形、関東の醤油業に富士山形が多いのは、云うまでもなく、日本一の富士山に因んだものだろう。
キッコーミヤ考
 わが社、宮島醤油株式会社の商標はキッコーミヤである。このマークが、いつ頃、何故、使用されたかは今となっては知る由もない。  
佐賀県商工名鑑
(明治40年7月15日刊)
 現在、手もとにある資料を探ると。佐賀県商工名鑑(明治40年7月15日刊)に、宮島商店として紹介されている。創業は明治15年だから相当に古いことではある。
 弊社企画課の資料をたどると、商標法に基づき、別掲のように登録している(味噌も同時期に登録)。
 「登録商標、第124290號、出願大正9年9月8日、登録大正10年1月11日、指定商品第41類 醤油」
 商標とは、「自己の生産・製造・加工・選択・証明・取扱又は販売の営業に係る商品なることを、一般購買者に認識させるために、商品に使用される標識」であって、登録することによって商標権が発生する。登録されるためには、文字、図形、記号、又はその結合で、特別顕著なものであることが、商標法という法律で決まっている。
 この法律は、明治17年の商標條令、明治32年の旧商標法を経て、大正10年法律第99号として、現在に至っている。
 キッコーミヤの登録が、この法律の施行とほぼ期を一にしているのは、新しい法とともに登録されたのだろうか、また、大正10年前後は好況期、当社も本社船宮工場を増設したりし、飛躍の時期でもあったからだろうか。
 そこで、キッコーミヤの原本は、ということになれば、当然この大正10年の登録商標ということになる。  
 右のマークをよくよく御覧になってください。このキッコーミヤは、正六角形でなはく、一割弱、横が広く、落ち着いた感じである。キッコーマンはさらに横が広い。   
 因みに、キッコーマンの方に、何故横が広いのかとお尋ねしたら、「樽詰の場合、上下の箍(タガ:竹の輪)の間にキッコーマンのマークを入れると、横が広いほうが、全体のバランスが取れるから・・・でしょうか。はっきりしたことはわからない」とのことだったが、この重量感はさすがに風格を感じさせる。  
 私ども宮島醤油としても上下、左右のバランスは詮索をしないで、登録した原型をそのまま尊重していきたい。
 なお、古い資料には、下記の商標も登録されているようだが、最終的にはに統一されている。
 
キッコーミヤ
 創業以来、一世紀を越す歳月は、この商標を見た人をして「あっ、唐津の醤油屋さんか」とイメージしてくれる。ありがたいことである。この商標のもと、ミヤジマを育ててくれた先輩諸兄、そして、わが社の商品を愛して頂いた消費者の皆様、商品をお届けするまでに、かかわってもらった多くの人々等々の結晶が、この商標に象徴されている。
 このキッコーミヤのもと、醤油味噌等の醸造商品の品質の向上に全力を傾注するとともに、皆様に喜んで頂けるような調味料、さらに加工品へと分野を拡げ、「For the Tasty Century Miyajima」も育てていきたい。
参考資料
 醤油読本 深井吉兵衛 著 有明書房 刊 昭和31年
 日本醤油業界史 日本醤油協会
 看板 岩井宏實 著 法政大学出版 刊 平成19年
 みそ文化誌 社団法人中央味噌研究所
 キッコーマン80年史 キッコーマン株式会社
 「白い国の詩(うた)」 東北電力株式会社 平成7年1月〜12月