私の似顔絵
(辛亥新春、昭和58年に
描いてもらいました。)
会長コラムへようこそ。

 8月に、“川の流れ”に人生を比喩する日本人の感情を綴っているうちに、ふと、“いろはにほへと・・・・・・”、いわゆる“いろは歌”も無常観を歌ったものだったことを思い出した。
いろはにほへと
―平仮名の習字―
(一)いろはにほへと ― 平仮名の習字
 いろはにほへとちりぬるを・・・・・・
 小学2~3年頃だったろうか、鉛筆をなめなめ、
と一字一字丁寧に練習に励んだ頃を思い起こした。
と同時に、意味は分からないまま、「いろは47文字」を暗誦させられた。その「いろは」が深い意味を持った歌であることを教えられたのは、小学校6年の時だった。小学校6年生用、初等科、国語 巻8に「修行者と羅刹」と題して、いろは歌の成立と意味が説かれていた。昭和16年の教科書だから、戦時色に溢れていた教科書の中で、突如、お釈迦様がでてきたので、驚いた記憶がよみがえった。
 お盆休み、思いつくままに復習してみた。
(二)いろは歌
(1)平かな文
 
          いろはにほへと           ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす
 
 発音の異なる仮名、47文字をひとつの重複もなく、七五調の今様歌にまとめてある。
 
(2)漢字と濁点を補うと、
 
          色は匂へど           散りぬるを
わか世誰ぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見し 酔ひもせす
 
 現代文に意訳すると、
 花は咲いても、たちまち散り、(人は生まれてもやがて死ぬ)
無常は生ある者の免れえない運命である。
 さまざまな因縁から生じる無常の世(奥山)を超越してしまえば、
もう浅はかな夢も迷いもない。 (そこに、ほんとうの悟りの境地がある)
 
(3)この歌の内容は、一般的には、お釈迦様の入滅前後を描いた涅槃経、雪山偈(四行詩)の
 「諸行無常、是生滅法、生滅滅己、寂滅為楽」
の意を汲んで作られたと言われている。
(三)いろは歌の歴史は・・・・・・
(1)いろは歌は、いつ頃作られたのだろうか。
 まず、47文字から成り立っているので、日本語の歴史が87音から48、47字に集約された頃、また、その意味するところが、佛教的、形而上学的に非常に洗練されていること等から10世紀~11世紀中頃だろうと推定されている。
 作者は弘法大師空海との伝説があるが、時代的にみて無理のようだ。
 
(2)日本最古の“いろは歌”は、「金光明最勝王経音義」(1079年 承暦3年)という仏典の冒頭に万葉仮名で書かれている。この金光明経は鎮護国家3部経の一として国分寺、四天王寺設立など古代仏教に及ぼした影響は大きい。
 
 「金光明最勝王経」音義(音義とは発音と意義)
万葉仮名のいろは歌
                       
※縦書き、右から読む
 
 一行、七文字、小さな字は各文字の発音のとき音符として高低をつけ、抑揚をつけて、歌われたとのこと。
 七文字の最後を読むと「とかなくてしす」、咎(とが)が無くて死す、とも読めることから、「無実の罪を受けて死ぬ」・・・・・・流刑人の暗号ではないか・・・との説がある。
(四)いろはとアイウエオ
 今は「いろはにほへと・・・ゑひもせす」と47文字を諳んじる人も少なくなったようだ。
 小学校でもアイウエオの50音図は教えるだろうが“いろは”はどうなんだろう。
 学説では、いろは歌とアイウエオは、いずれもその成立は、平安時代の前期頃でほぼ同時期と云われている。
 古事記、日本書紀には、応神天皇時代に百済から王仁が渡来して、「論語」と「千字文」を献上したとある。
 その頃までは、日本の言葉は話すだけの機能だったのが、中国、朝鮮半島との交流にともない、漢字に出会う。まずは漢字の音を借りて、万葉仮名が生まれた。漢字の意味と同じような日本語を固定して、「訓」を成立させ、さらに平仮名、片仮名をつくり、次に「レ、一、二」を利用し、漢文を日本語で読む技術を考案、世界に類の無い日本語文をつくりあげていく。
 そんな中で、いろは歌は日本語47文字を組みあわせ、佛教の精髄である諸行無常を七五調の今様歌にまとめあげる。
 今を去ること、1千年有余、先人達のすばらしい智恵と努力に今さらながら感動しつつ、“いろはにほへと・・・・・・ゑひもせす”と、口ずさみつつ、いろは歌が永遠に語りつがれることを祈りながらこの稿を終る。
参考文献
いろは歌の謎 篠原央憲 三笠書房
漢字伝来 大島正二 岩波新書