私の似顔絵
(辛亥新春、昭和58年に
描いてもらいました。)
会長コラムへようこそ。

 今、世界は金融危機と呼ばれ、金融経済界には緊張感がみなぎっている。ニューヨークウォール街の株式市場が大暴落、「世界恐慌」が始まったのは、昭和4年10月24日。私は、その3ヶ月後の昭和5年1月16日に生まれた。
 ひるがえってみると、翌、昭和6年に満州事変が勃発、昭和20年の第二次大戦の敗戦までを15年戦争と称するが、奇しくも、誕生日から15歳になるまで、全く戦時一色の中に育ったことになる。
昭和恐慌に学ぶ
(一)世界大恐慌
 昭和4年(1929)10月24日。
 ニューヨーク、ウォール街にて、株式市場大暴落、いわゆる、世界恐慌が発生する。
 当時の日本は、すでに昭和2年3月の大蔵大臣の失言からの渡辺銀行の取付け騒ぎ、引き続いて、鈴木商店の業績不振に伴う政府系の台湾銀行の休業と金融危機を乗り越えており、アメリカの株価暴落が世界的な恐慌に拡大化すると観測していた政府・財界関係者はいなかったようである。
 従って、予定通り、井上準之助蔵相は、翌、昭和5年(1930)1月、金解禁を実施したことにより、巨額の金が流出した上、株価は下がり、物価・米価・生糸の価格は暴落、輸出入は不振、農工業は低落、「大学は出たけれど・・・」と失業者は増大し、昭和5、6年(1930~31)の日本は恐慌の坩堝(るつぼ)と化する。
 この恐慌打開のため、国会での論議は高まる。
 井上蔵相は、「日本経済は、第一次世界大戦の好況からその反動としての不況、関東大震災と、十数年間は不自然な状態である。財界の立て直しには緊縮財政もやむをえない。この不景気に通貨を膨張させ、空(から)景気をだすようなことは絶対に避けるべきだ」と、デフレ政策をとる。
 一方、三土前蔵相は、「政府は公債を発行し、進んで政府事業を起こし、景気に刺激を与えれば、不況から脱出できる」と主張し、大論争となっていた。
(二)恐慌からの脱出
 昭和6年(1931)、12月、犬養内閣が成立、5度目の大蔵大臣として高橋是清が就任する。
 高橋蔵相の任務は、国内では恐慌からの脱出、対外的には、すでに勃発している「満州事変」のための軍事費の捻出だった。
 高橋蔵相は、就任と同時に金輸出禁止の措置を取り、金融的には、低金利貸付と公債発行によるインフレ政策をとり、経済に刺激を与え、生産力を上げることにより景気は回復へと向った。
 しかし、昭和10年(1935)以降になると、公債の消化率が下がり、悪性インフレの兆候が見え、「国債100億円」ラインを突破する勢いを示してきた。高橋蔵相は、これ以上は、国家財政に破綻をきたすと「財政の生命線」を死守すべく、軍事費を削り、公債漸減方針をとなえ、あくまでも軍事費増額をとなえる陸軍と対決することになる。
 このため昭和11年(1936年)2月26日、81歳の老齢に達していた高橋是清は、皇道派青年将校の凶弾に倒れ、悲惨な最期をとげる。
 この事件以降、日本は戦争への軌道に乗ってしまう。
(三)アメリカ復興への道
 一方、世界的恐慌の源、アメリカは、この恐慌にどう対処していったのだろうか。、1932年(昭和7年)、ルーズベルトは大統領に就任するや、国民のために「ニューディール(New Dael)」を約束する。ニューディールとは「トランプの配り直し」、「新しい政策」を意味する。その目的とするところは救済(Relief)、復興(Reconstruction)、政策(Reform)の三つのR。法律的には、全国産業復興法(NIRA)の決定、具体的には政府の財政資金を公共事業や失業救済に大々的に投じ、道路、水路、橋梁、空港、公園、病院などを建設し、失業救済、農民救済にあてられた。いわゆるテネシー渓谷開発公社(TVA)はニューディールのシンボルとして今なお脚光を浴びている。
 これらの公共事業、失業対策がどれだけ労働者、農民の救済に役立ったかは別として下から盛り上がった「草の根民主主義(Grass Root Democracy)」の名のもとに国民が結束し、力強い社会的基盤を形成し、ニューディール政策を支持したからこそ成功したようである。1936年、ルーズベルトが再選され、さらに大胆な策をうって、復興は軌道にのる。
(四)日米両国の恐慌克服、比較
 全世界を襲った1929年の大恐慌により、各国はそれぞれ大きな痛手を蒙る。
 1929→1939年に工業生産の落ち込みがひどいのは、
アメリカ、ついでカナダ、オーストリア、ドイツ、イタリア、イギリス、日本の順
 1932→1937年に回復が早かったのは、
ドイツ、日本、アメリカ、カナダ、オーストリア、イタリア、イギリス、フランスの順
 という。
 
 先に述べたように、日本もアメリカもいずれも景気回復のため、「公債を発行し」その資金により社会基盤を充実させ、生産を増大し、消費を拡大し景気を回復させる方向をとっている。
 日本は高橋財政の有効需要創出政策が功を奏し、昭和9年(1934)には、恐慌前に復帰したが、アメリカは設備投資がおくれたため、やや長期の停滞から抜け出せずにいた。
 しかし、両国の財政、歳出の中に軍事費の占める割合は、
1930年    日本は30%弱    アメリカは20%弱
1936年   日本は45%   アメリカは10%
 1936年は高橋是清、死亡の年。1937年以降の日本は満州事変を契機としてさらに急角度で膨張する。
 ついで、公共事業費・救済費を比較すると、日本は逆にこの期間中に減少。アメリカは1934年には40%に上昇し、以降、横這いに推移している。
 これらの数字は、この恐慌の前後から社会的不安が募り、労働組合運動、社会主義政党の活動等に対する弾圧、ロンドンの軍縮会議、満州、中国への進出・・・・・・、満州事変、支那事変、太平洋戦争へと暴走することを物語る。
 大恐慌前の日米両国を比較してみるとき、昭和初期の数年は、日本の進路を決定する最も重要な時期であったことをあらためて認識されられる。
(五)現在の世界的金融危機
 今年に入り、アメリカのサブプライム問題に端を発した金融危機は、今から、どう解決されていくのだろうか。この度の世界金融危機を念頭に、昭和恐慌を復習すると、その規模はグローバル、しかも何百兆円という、天文学的に巨額な資金が流動し、われわれ一市民としては、理解し難い、巨大な世界が存在しているとの感さえある。
 資本主義、自由主義経済、国際金融の自由化の極度の発展は、時に浮沈はあっても、どこかで自らを律し、基本に戻るべきであろう。「グリード(貪欲)」と形容される人間の欲求は、リスクに対応するとき判断を誤るのだろうか。
 人間は道徳的感情(sympathy:シンパシー)があってこそ、「神の見えざる手によって」導かれる。・・・・・・アダム・スミス
 資本主義は、信仰と生活の清潔を保つピューリタリズム(清教徒主義)があってこそ発展する。・・・・・・マックス・ウェーバー
 近江商人は、「売り手よし、買い手よし、世間よし」
 世界各国、協調して、この難局を、一刻も早く克服し、健全な世界経済を樹立してもらいたいものである。
 「好況よし、不況はなおよし」・・・・・・松下幸之助
参考文献
日本の歴史24 ファシズムへの道 大内力 中央公論社
昭和の歴史2 昭和の恐慌 中村政則 小学館
日経新聞 2008年10月22日 経済教室
その他