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私の似顔絵
(辛亥新春、昭和58年に
描いてもらいました。) |
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会長コラムへようこそ。
秋たけなわの平成20年11月3日、文化の日。
皇居にて、2008年の文化勲章の親授式が行われた。
受賞者8名、ノーベル賞受賞者等にまじって、日本文学の研究と普及に努められたドナルド・キーン氏が選ばれていた。
14年前、福岡の本屋さんで「日本文学の歴史 第1巻」を手に取り、すぐに購入、読み始める。数年かかって、18巻を通読した。キーン氏の日本文学、日本文化への真摯な研究と溢れる情熱に感銘をうけた記憶が蘇った。
キーン氏の受賞を知り、あらためて、書斎の本棚から取り出して。頁をめくっていた。 |
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(一)松尾芭蕉、第7巻 |
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枯朶(えだ)に烏(からす)のとまりけり秋の暮 |
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キーン氏が、日本人作家の中でも最も尊敬する、松尾芭蕉、「日本文学の歴史 第7巻近世編」を開く。 |
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卓越した力量の証明、不思議な魅力にふれた最初の傑作。 |
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枯朶に烏のとまりけり秋の暮 |
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On the withered branch |
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A crow has alighted - |
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Nightfall in autumn, |
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この句は漢詩の「寒鴉枯木」を俳句に言い換えたものと言われているが、それだけでは説明できない魅力を備えている。 |
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枯枝に下りた鳥は、瞬間の観察であり、詩中の「いま」であり、静寂のうち迫り来る秋の庭のとばりへ向って等号を引かれている。 |
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「秋の暮」は、秋の終わりかたを意味するとも解されるが、芭蕉は意図的に日と季節の終焉の別をあいまいにしたのだろう。 |
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句の景は一幅の墨絵である。 |
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古池や蛙(かわず)飛こむ水のをと |
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The ancient pond - |
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A frog jumps in, |
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The sound of water. |
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さる句会で、この句はまず、「蛙飛こむ水の音」だけができ、「山吹や」という上五句を冠したのを、芭蕉が、これにとらわれず、「古池や」としたという。 |
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芭蕉の名句の多くは永遠なるものと、瞬間的なものとを同時にからめとっている。蛙の跳躍、その瞬間の合図となった「水のをと」、古池は再びもとの永遠に戻っている。 |
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閑(しずか)さや岩にしみ入蝉の声 |
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永遠と瞬間の対比により、17文字の中に宇宙を創造。 |
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How still it is ! |
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Stinging into the stones |
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The locusts' trill. |
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主題は「閑さ」である。しかし、それを知るために音がなければならない。山寺の静寂は、絶え間ない蝉の音によって乱されている。ふと鳴きやんだ一瞬には、岩にしみ入るばかりの静けさである。 |
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永遠なるものと瞬間的なものを対比させることによって、17文字の中に宇宙を創造することに成功している。 |
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「日本文学の歴史第7巻、松尾芭蕉」より抜粋 |
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(二)一人の文学者の著書による、日本文学の歴史 |
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以上、「日本文学の歴史」、松尾芭蕉の三句に垣間見られるように、一句毎に、一行の要約をした見出しのあと。丁寧な解説と自らの文学論が添えてある。 |
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勿論、原文は英語。それを各時代の専門の研究者が、日本語に訳したものを私たちは読ませて頂いている。 |
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その内容は、実に綿密、時代は「古事記」から現代の三島由紀夫までと千数百年。 |
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そのジャンルは、 |
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詩歌・・・万葉集・古今集は日本文化の高尚性の原因 |
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フィクション・・・世界最初の小説「源氏物語」等 |
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戯曲・・・後世の文学に影響した能、町人階級を主人公とした近松の浄瑠璃 |
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日本文学の特徴、日本語の特色・・・基本的に変化していない大和言葉と漢文 |
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等、全18巻に広汎、そして万遍なく、紹介、解説、自らの文学論と平易な説明が続く。 |
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主要文学、源氏物語には65頁、松尾芭蕉は83頁、夏目漱石に87頁をさき、丁寧な解説、とくに自ら興味をもって研究された近松の浄瑠璃、演劇にまで踏み込んでおり、読みごたえがある。 |
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しかし、何といっても、驚くべきことは、この日本文学史が一人の学者の手によって書かれていることである。 |
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キーン氏自身が「まえがき」の後尾にこう言っておられる。 |
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「一人で文学史を書くことは現代の常識に反するようである。多くの場合、それぞれの時代の専門家に分担を定めてある。しかし、一章ごとに執筆者を変えたら、文体も文学的感性も違ってくる。それよりも、一貫した文学観、人生観をもった文学史は、読み易いのではなかろうか。この文学史は私の自己証明、19歳(日本文学を初めて読んだ頃)から現在まで何をしてきたのかを物語る」 |
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という。キーン氏の60年に及ぶ真摯な研究と日本文学への情熱には頭が下がる。 |
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大岡信は、 |
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「朝から夜半まで、食事に立つのも惜しいほどに惹きこまれて読むような魅力を備えた文学史は、一人のすぐれた学者が全力をふるって書いたもの」 |
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と賛辞を与えている。 |
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(三)キーン氏の生い立ち |
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キーン氏はどうして日本が好きになったのだろうか。その生い立ちを、略歴、随筆集の中からたどってみた。 |
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1922年 |
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ニューヨークに生まれる。 |
1931年 |
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9歳のとき、毎年ヨーロッパへ行く貿易商の父にねだって、ヨーロッパへの旅行をせがみ、渡欧する。
この旅行で外国語を習う必要があり、外国人とのつきあいの楽しさを知る。
数年後、スペインへ行く予定だったが、内乱のため中止。 |
1941年 |
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アーサー・ウェイリーが英訳した「源氏物語」を読み感銘、日本文化に惹かれ、日本語の勉強に熱中する。 |
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コロンビア大学・・・縁あって、日本思想史の角田柳作先生のもとで、日本文化を学ぶ。その授業は、先生一人、生徒一人の一対一。先生の熱心な授業で日本の古典を渉猟する。角田先生は戦時中は抑留、戦後大学に復帰され、キーン氏は戦前戦後を通じ、先生の薫陶を受ける。 |
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その半年後に日本に戦争が起こり、日本文学への夢はこわれる。 |
1942年 |
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米海軍日本語学校に入学、除隊するまで4年間軍務に従事。
(日本軍が残した書類の翻訳、通訳等に従事する。) |
1953年 |
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ケンブリッジ大を経、2年間日本留学、京都大学に学ぶ。 |
1957年 |
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東京国際ペンクラブ大会、アメリカ代表の1人として出席、日本人との交流を深め、その交友範囲を深められる。 |
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文部大臣を勤められた 永井道雄 |
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中央公論社 嶋中鵬二 |
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文芸公論 池島信平 |
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三島由紀夫、吉田健一、司馬遼太郎、安部公房等々 |
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文化功労者。勲二等旭日重光賞受賞。菊池寛賞、読売文学賞、毎日出版文化賞など受賞多数。 |
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以上、ドナルド・キーン氏の業績に敬意を表し、このコラムを終わる。 |
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参考文献 |
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日本文学の歴史第1~18巻 ドナルド・キーン著 |
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訳 土屋政雄 1~6巻 |
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徳岡孝夫 7~13巻 |
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角地幸男 14、15、18巻 |
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新井潤美 16、17巻 中央公論社 |
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私の大事な物語 ドナルド・キーン著 中央公論社 |
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日本語の美 ドナルド・キーン著 中央公論社 |
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世界の中の日本 ドナルド・キーン、司馬遼太郎 対談 中央公論社 |
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