私の似顔絵
(辛亥新春、昭和58年に
描いてもらいました。)
 会長コラムへようこそ。

 あけましておめでとうございます。
 今年は、丑(うし)年。
 子、丑、寅、卯、・・・・・・と、子(ねずみ)に次いで12支の2番目の年にあたります。
 その“牛”に因んで、想いのままに筆をとってみました。
丑年に想う “商は牛の涎”
 私たちにとって、なじみが深かった牛だが、農村、農家にも“牛”を見ることはなくなってしまった。
 戦前には、稲の収穫後、田を耕すために、お百姓さんは、犂(スキ)をつけた牛の後から、鞭を振りつつ、田の土を耕す風景をよく見かけたが、今はエンジンの音も威勢よく、農耕機械が黒い土をひっくり返していく。
 戦前までは、農家には、牛か馬を必ず一頭は飼ってあり、農耕に、運搬に大活躍だったが、今は、牛といえば畜産、酪農の専用の農場に行かねば、お眼にかかれなくなった。
(一)人間と牛のオツキアイは非常に古い。
 牛は、もともと、インド・中国・ヨーロッパで石器時代に、家畜として馴致されていたという。
 牛の字の原形が「」。牛の角と頭の形をその背後からみた象形文字であるところからみて、中国における牛の歴史の古さがわかる。
 おそらく、馬はその機動力からみて武器のひとつとして利用し、牛は、力が強く重量物の運搬にさらに鉄製の犂と牛の牽引力とをあわせて農耕に利用しはじめると、中国人にとり、牛は必須、貴重な存在となったのだろう。
角川漢和中辞典より
(二) 牛にかかわる漢字、熟語は数多い。
 犢(トク)は牛の子、(ハイ)は2才の牛、(サン)は3才の牛・・・・・・と同じ牛でも細かく使いわけている。
 また牡、牝はいずれも牛偏。ケモノ全体のオス、メスなら  、 でもよいはずなのに、人間にとって身近な存在だったからか、牛偏の牡牝だけが残ったという。
 意外なのは「物」も牛偏。勿は色のまじわる意(雑)、雑食の牛に転じ、万物は、種々、不ぞろいの(雑)のところから物(もの)の意となった、とある。
 犠、牲はいずれも牛偏。天子が神に捧げる犠牲(いけにえ)といえば、牛に決まっていた。牛は殺されても平然としていたからだろうか。
 「牛耳ヲ執ル」とは、中国古代の諸侯たちが会合し、盟主が左耳をとって裂き、血をすすって同盟を誓いあった。この故事にならい、団体、党派の首領となり、自らの意のままに運営することを日本の現在でもなお、牛耳る(ギュウジル)という言葉が生きている。
(三)日本人と牛の関係は、どうなのだろう。
 日本人の食料は農耕以前の自然食採集時代から、根栽農耕、穀物中心の焼畑農業へさらに縄文晩期の水稲栽培へと進み、鉄器文化の伝来とともに、牛馬を農耕に使うようになって、農業は飛躍的に進歩を遂げる。
 
 考古学の調査によると、縄文時代の動物質の食料としては、シカ(39%)、イノシシ(38%)が主体で、以下、キツネ、タヌキ、ウサギ、アナウマとなっており、牛、馬を食用とした形跡はないようだ。
 ところが、時代は進み、律令国家奈良時代へ。佛教を国家の宗教と位置づけた奈良王朝は、佛教の戒のひとつ「不殺生戒」(生命あるものを害せざれ)にもとづき天武天皇は殺生禁断の詔を発する。その中には牛・馬・猿・鶏の肉食厳禁がうたってある。
 この肉食禁止が、以後の日本人の食生活に大きな影響を与えてきたことは周知の通りだが、「牛・馬」を禁止するとの詔を発するということは、逆にいえば、すでに、牛、馬を食べていたことになる。
(四)牛にひかれて
 日本においては佛教が国の宗教として定着するに従い、中国のように牛を犠牲として神に供えることもなく、もっぱら農耕、重量物の運搬、人の乗り物として活躍する。
 牛に引かせる車、荷車は牛車である。
 ところが、平安時代には、牛に屋形車をひかせ、これを“ギッシャ”と称した。車の種類により乗用の階段が定められ、金銀の装飾を施し華美を競った。唐庇(からひさし)、・・・・・・御所車等々。源氏物語の光源氏もこんな牛車に乗って女性の下に通っていたのだろうか。
広辞苑より
 勿論、牛にも立派な着物を着せさせ、ゆっくりゆっくりおごそかに引かせたのだろうが、果たして、牛にとってこれが光栄か喜びだっただろうか。
 それよりも
 「牛に引かれて、善光寺参り」と人様を導いた方が嬉しかったかも・・・・・・。
 この諺の出典は、“今昔物語”にある中国の物語。
 「あるとき佛教の嫌いな老母の家に、牛が迷い込んできた。牛を家の中に入れようと、着物の帯を解いて、牛の鼻につなぐが、牛は逃げ出し、お寺に入ってしまう。追っかけていった老母は、宿のお経を聴く事になる。その後、病死した老母は、娘の夢枕に立ち、佛教の功徳を伝えた」という。
 偶然のきっかけや、他人の誘いでたまたまその道に導かれることの諺。
(五)牛にまつわる諺
 牛は、この「善光寺まいり」をはじめとして数多くの諺を生んでいる。たとえば、
 
「牛に経文」
 猫に小判、豚に真珠と同じ意味
「牛の一散」
 牛はふだんは、ゆっくりと歩くが、何かの拍子で脱兎のごとく走り出す。思慮の浅い者が前後のことを考えずに、はやり立つことの戒め。
「角を矯(た)めて牛を殺す」
 細部にこだわりすぎて、肝心な根幹をそこねてしまうこと。現代の子どもの教育などによく使われる。
「牛の小便と親の意見は長くとも効かぬ
牛飲馬食
鶏口となるも牛後となるなかれ」
 これらは、どうも、牛にとっては不名誉なことわざである。
(六)教訓的なものに商(あきな)いは牛の涎(よだれ)
 商売は細く長く途切れなく気長に辛抱強く営めという教訓。
 あきないは、「飽きない」に通じる。
 牛の胃袋は四つあり、いわゆる反芻動物、約6時間はもぐもぐと口を動かし、この間絶えず、涎を垂れ続け消化に努め、私たちに立派な牛乳を美味しいお肉を食べさせてくれる。
 
 私たちは今、昭和の恐慌以来80年、100年に一度の変革の嵐の中にいる。
 こういう危機を脱するには、一時的には弥縫(びぼう)の政策も不可欠ではあるが、日々の堅実、着実な努力の積み重ねこそが大切であろう。
 黙々と働く牛に学びつつ・・・・・・。
参考文献
広辞苑
角川漢和中辞典
岩波ことわざ辞典
日本食生活史 渡辺実 著 吉川弘文館
考古学は愉しい 藤本強 編 日本経済新聞社
食の変遷から日本歴史を読む方法 武光誠 著 河出書房新社
十二支物語 諸橋轍次 著 大修館書店