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私の似顔絵
(辛亥新春、昭和58年に
描いてもらいました。) |
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会長コラムへようこそ。
100年に一度の世界的な経済危機と、ことあるごとに叫ばれる。この激動の中に、オバマ大統領が誕生する。颯爽たる身のこなし、さわやかな演説は魅力十分。そして何よりも、新鮮。
オバマブームを追ううちに、リンカーンへと連なる。 |
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リンカーン大統領 |
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(一)戦後の(旧制)中学の英語の授業 |
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2月に上京、八重洲のブックセンターに立ち寄ると、「オバマ大統領就任演説」(英和対訳)が山積みしてある。手にとり、頁をめくる。オバマ大統領の演説の前に、第16代の大統領リンカーンの「ゲティスバーグの演説」が収録されている。拾い読みをしていると、その末尾に、 |
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"Government of the people, by the people, for the people"のフレーズが眼にとまる。 |
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私の脳裡には、突然、今を遡ること64年、昭和20年、9月の英語の授業が蘇ってきた。 |
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昭和20年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾。大村の第21海軍航空廠で学徒動員中だった私ども唐津中学4年生は、直ちに帰宅した。呆然としたまま、約2週間を過ごすと、9月からは第2学期に入った。 |
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戦争は終わった。若いだけに、気持ちの切替は早い。教室の中は明るかった。 |
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しかし、授業は午前中で終わる。占領下、日本政府の教育方針は定まらず、とくに、国語、歴史等の授業は全くなく、数学、物理は従来通り、英語、―中学入学頃は、週に8時間あった英語の授業は、戦争が進むに従い、3年生になると週に3時間ぐらいに急減していた。戦争が終わると、再び授業時間が増えた。しかし、何しろ、勤労動員期間中は英語とは全く無縁だったので、まずは初歩的な"This
is a pen."の復習からはじまる。その一方では、上級学校への受験英語にも取り組まねばならず、また徐々に占領政策的なものも浸透されていく。 |
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第2学期も落ち着いた頃、森鷹一校長が自ら数回、教壇に立たれ、英語の授業された。 |
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そのときの教材は一枚のガリ版刷りだったか、黒板に書かれたか、定かな記憶はない。 |
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ただ、"Government of the people, by the people, for the people" |
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このフレーズだけが、耳朶に残り、当時、15才の少年の脳裡にしっかりと焼きついていた。 |
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もの心ついて以来、神国日本、滅私奉公、鬼畜米英、・・・・・・等々のもとに育った少年にとって、民主主義とはどんな理念かなど、全く理解すべくもない。しかし、この“フレーズ”を聴いたときの感動は、どこか心の奥に残存していたのだろう。 |
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オバマ大統領に導かれ、アメリカ建国の父といわれているリンカーンの演説をもう一度読み直してみる。 |
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(二)“人民の、人民による、人民のための政治” |
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リンカーン大統領の「ゲティスバーグの演説」は、1863年11月19日、ペンシルベニア州、ゲティスバーグ「国立戦没者墓地」にてアメリカ市民の結束を訴えた演説として、アメリカの歴史の中に今なお燦然と輝いている。 |
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冒頭に、 |
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「87年前、わが国の先人たちは、この大陸に新しい国家を誕生させたが、それは自由の理念のうちに建てられ、すべての人間は生まれながらに平等(all men are created equal)であるという信条に捧げられた国家であった。・・・」 |
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に始まり、 |
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「戦没者の未完の仕事を引き継ごう」 |
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と国民を励まし、最後に、 |
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「・・・われわれは、ここで強く決意する。 |
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亡くなられた、これらの人たちの死を無駄にしないように、
この国が神の下で新たな自由を生み出せるように、
そして、人民の、人民による、人民のための政治が、
この地上から滅びることがないように、― しようではありませんか」 |
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"・・・we here highly resolve that these dead shall not have died in
vain;
that this nation, under God, shall have a new birth of freedom;
and that government of the people, by the people, for the people,
shall not perish from the earth." |
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と結んでいる。 |
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「人民の、人民による、人民のための政治」 |
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簡潔、明解、そして民主主義の真髄に触れる、この名句は、いかにして生まれたのだろうか。 |
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1607年 |
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日本では徳川時代に入る頃、イギリス人のアメリカ植民が始まり、 |
1776年 |
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アメリカ独立宣言、あたらしい共和国が生まれる。 |
1789年 |
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ワシントンがアメリカ初代大統領に就任。奇しくも、フランス革命と同じ年。 |
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爾来、アメリカは、太平洋、大西洋をまたぐ大陸国家として成長していく中で、1860年、リンカーンは第16代大統領に就任する。しかし、アメリカ南部と北部の利害の不一致は、あまりにも大きく、 |
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北部は、資本主義、保護貿易、中央集権、奴隷制度廃止 |
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南部は、自由貿易、各州自治、奴隷制度維持 |
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とことごとく対立。南部は遂に「南部同盟政府」を樹立し、1861~65年の南北戦争に突入する。 |
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戦局は、一進一退、やや北軍優勢の中にあって、南北戦争における事実上の決戦は、当時アメリカの交通の要衝、ゲティスバーグに両軍の戦力が結集し、1963年7月1日~3日、激戦の末、北軍の勝利となった。 |
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この3日間の戦闘で、死傷者(及び行方不明、捕虜)は両軍合わせて5万人。その数が戦いの激しさを物語る。 |
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戦、熄んで、数ヵ月後、この激戦地ゲティスバーグで、彼、リンカーンが行った約3分間のこの演説には、 |
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奴隷解放の願いをこめた自由、平等の理念 |
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ここで彼らが行ったことは絶対に忘れ去ることはできないと戦没者の霊を慰め、人民のため・・・・・・、南北戦争で苦しんだ人民の融和を訴える彼の情熱が伝わってくる。 |
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リンカーンは、この演説の翌1864年、大統領に再選、さらにその翌年、就任式を終えた後、1865年4月、南北戦争終結の5日後の4月14日、夫人同伴で、観劇中に至近距離から狙撃されるという悲劇の死を遂げる。哀悼の意をこめ、オバマ大統領の危機克服への手腕を期待しつつ、Government
of the people, by ・・・・・・ とつぶやく。 |
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参考文献 |
オバマ大統領就任演説 朝日出版社
ケネディ大統領就任演説、リンカーン大統領「ゲティスバーグ」演説 収録 |
アメリカの歴史がわかる 猿谷要 著 三笠書房 |
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