私の似顔絵
(辛亥新春、昭和58年に
描いてもらいました。)
 会長コラムへようこそ。

 読書 ― 雑学だから、手あたり次第、面白そうな本を見つけては読む。
 そんな雑読の中で、新しい表現や言葉に出くわすと、次々に興味をそそられる。最近、心にとまったことは、「楕円形」、「楕円的人間」。
 
楕円形
(一)楕円形
 徒然なるままに、五木寛之の『百寺巡礼 第六巻 高野山』を読んでいたところ、人間には、「円的人間」と「楕円的人間」がある・・・に眼が止まった。
  
 記憶は60余年前に遡る。(旧)中学2年生の頃、数学第2類、いわゆる幾何の授業を想い起こした。
 「楕円とは、平面上で、2つの定点からの距離の和が一定であるような点の軌跡である」と。
 黒板に書かれた図形によって説明を受ける。
 FP + PF´ = FP´ + P´F´  PP´・・・の軌跡が楕円
 楕円という滑らかな曲線は、こうした原理からつくられているのか、2つの定点の幅と2つの定点からの距離の和を自由に変えれば無数の形の楕円ができることになる。当時、ティーンエイジャだった少年の好奇心をそそったのか、今もなお、そのときの心象が蘇ってくる。
(二)円的人間、楕円的人間
 さらに、五木寛之の百寺巡礼高野山を読み進むと、梅原猛氏が、人間には、円的人間と、楕円的人間があるとの考え方が紹介されている。
 弘法大使空海を、典型的な“楕円的人間”として、説明している。
 
 空海は、一方では、朝廷や権力と結びついて、京都の「東寺」を中心として、政治的に活動し、土木工事もすれば、書は、日本三筆のひとり、外国語にもすぐれ、綜芸種智院という学校を建てたり、多彩な文化活動を手がける。
 しかし一方では、純粋な宗教人として、「高野山」に金剛峯寺を開き、孤独を愛し、人間の根底をみつめる求道的な生活を続け、「即身成仏」、62歳の生涯を遂げる。
 
 このように東寺を定点として社会貢献的な活動に励む空海と、高野山を定点として純粋な宗教人の空海像とが、揺れ動き交錯する。魅力溢れる空海の人間像を説明するのに東寺と高野山を2つの定点とした楕円形をかりて、”楕円的人間”と称するのとは、まさに「言い得て妙」と首肯している。
(三)楕円幻想
 もう少し考えてみた。
 空海の如き、天才偉人のみならず、われわれ、凡人にも小なりとはいえ、複数の中心があり、たえず揺れ動いているのでは・・・と。
 五木寛之氏に導かれ、昭和10年~50年頃に活躍した評論家花田清輝(1909-74)の、「楕円幻想」を索引して、勉強させてもらった。
 楕円という、円とは異なった不思議な図形について、文学的というより、哲学的ともいえる小論文だった。何しろ難解極まりなかったが、何度か読み返すうちに、いくらかは理解できた。以下、「楕円幻想」の一部を要約する。
 
 円は完全な図形であり、それ故に、天体は円を描いて回転する・・・・・・しかし、惑星の軌道は楕円を描く。
 このことを予言したティコは、科学的でなく、眼に見えない頭の中の宇宙に、二つの焦点がある。彼の分裂した心の中に、中世と近世とが二つの焦点として役割を果たしている。
 (中略)
 円が跳梁するときもあれば、円の代りに、楕円が台頭するときもある。・・・・・・
 我々の描く円は、ことごとく歪んでおり、そのぶざまな形に嫌気がさし、すでに我々は円をかこうという気持ちさえ失っているのではなかろうか。
 例えば、二葉亭四迷の小説『其面影(そのおもかげ)』の主人公は恋に悩み、精神的なプレッシャーに耐え切れず、小説の終章になって、親しい友人に苦々しくつぶやく。
 「君は能く僕の事を中途半端だといって攻撃しましたな。成程僕には昔から何だか中心点が二つあって、始終其二点の間を彷徨しているような気がしたです。だから事に当って何時も狐疑逡巡(こぎしゅんじゅん)する、決着した所がない」
 
 「其面影」 小説の梗概
 小野哲也という法学士は、衣食のため、小野家の養子となる。養家の妻と姑の物質的な欲望と、精神的な圧迫のため苦しむ。たまたま、他家に嫁した義妹、小夜子が、夫が死亡したため小野家に戻る。小野は小夜子への同情が恋へと変わり・・・。小夜子は宗教的良心に、呵責に堪えず身を隠し、小野は乱酒・・・身を亡ぼす。
    (明治39年10月10日~12月31日、朝日新聞連載)
 
 花田清輝氏は、この小説を評して、
 「我々の魂の分裂は、もはや我々の父の時代(明治40年頃)からのことである。おそらく主人公は初歩の幾何学すら知らないで、二つの焦点を、二つの中心としてとらえている」と分析している。
(四)仕事と生活を定点として
 「其面影」から、さらに100年を経て、複雑な環境に生活する現代人の深層を考えると、さらに、心の中心は、楕円のように2点、いやそれ以上の数多い定点の上に生活しているのかもしれない。
 
 最近、政府が推進している「仕事と生活の調和」を考えてみる。仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章は、
 いま何故仕事と生活の調和が必要なのか、仕事と生活が両立しにくい現実、働き方の二極化等、共働き世帯の増加と変わらない働き方・役割分担意識、仕事と生活の相克と家族と地域・社会の変貌、・・・等々、読み進んでいくと、仕事と生活、家族、地域社会とのかかわりあい・・・、と、問題は益々、錯綜していく。
 
 仕事と生活は「両立しにくい、両者の相克」というより、われわれは、この2つの中心として、一人の人間として活動する。 ― いわば、楕円的な軌跡をたどりながら、仕事から、社会生活からいろいろな体験を重ね、勉強しながら、人格を高め、充実した人生を送りたいものである。
参考文献
 日本幻想文学集成29 花田清輝 楕円幻想  池内紀 編  国書刊行会
 二葉亭四迷全集 第三集  二葉亭四迷 著  岩波書店
 百寺巡礼 第六巻  五木寛之 著  講談社文庫
 梅原猛著作集9 三人の祖師  梅原猛 著  集英社