|
|
|
|
|
|
|
|
私の似顔絵
(辛亥新春、昭和58年に
描いてもらいました。) |
|
|
会長コラムへようこそ。
5月に入ります。参議院選挙へ・・・。
政治の世界は急を告げます。
テレビ、ラジオから流れる鳩山首相の談話を耳にするたびに国民に訴える「言葉」がいかに大切かを痛感します。
そんな中でぼんやりと中国の名言、「綸言(りんげん)汗ノ如シ」を思い浮かべていました。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
(一)綸言汗の如し |
|
|
「綸言(りんげん)」、耳慣れぬ言葉ではある。 |
|
|
辞書を繙くと、「天子の詔、綸旨(りんじ)と同じ」とある。 |
|
|
もう少し詳しく調べてみた。 |
|
|
「綸」という字の本義は「よりあわせた糸」のこと。魚釣りに用いる糸を「綸」といい、さらに青糸を糾(あわ)せ、勲章をつるす青い組紐のことをいうようになる。 |
|
|
|
|
|
ところで、天子の詔をなぜ綸言というのだろうか。 |
|
|
その由来は、四書五経のひとつ、礼記の第33に「王の言は、絲の如くなれば、その出づるや、綸の如し」とあることによるという。 |
|
|
すなわち「王の一言は、たとい絹糸のように細くても、ひとたび発すれば、印についている紐のように、太く大きなものになる。王者の言葉はこのようにすぐ天下に行きわたり、拘束力が生じ、ほどけないようになる」とその影響することがいかに大きいかを教える。 |
|
|
|
|
|
また、漢書という古い歴史の書には、 |
|
|
「令を出すは汗を出すが如し。汗出れば、反(かえ)らず」とある。 |
|
|
汗は一度出ると、もとに戻らないように、天子の詔も一度出ると取り消したり改めたりできないという誡(いましめ)の言葉である。 |
|
|
以上が「綸言汗の如し」の原典であり、さらに「君子は人を導くに言を以ってし、人を禁(つつ)ましむるに行を以てす」と言行一致を説く。 |
|
|
|
|
|
(二)首相の発言、5月末日の決着 |
|
|
古代中国における「綸言」は、今の日本であれば、さしずめ内閣総理大臣、首相の言といえよう。 |
|
|
普天間基地移設の問題は「5月末に決着」と、鳩山首相が繰り返し発言すれば、いやでも“綸言”と言わざるをえず、“汗の如く”取り消し、変更はできまい。果たして、深謀遠慮の末、信念、自信あっての発言なのだろうか。 |
|
|
首相の言とともに、政党、政治家のマニフェストも綸言といえよう。 |
|
|
Man-i-Festoの本義は宣言書、声明書。それから、政府、政党などがその主義方針などに関して行う発表を意味するようになるのだから、本質的には、“言葉”である。 |
|
|
最近の政界の演説、宣言は迫力に乏しく、また、名言、名文に遭遇しなくなって久しい。 |
|
|
|
|
|
(三)言霊(ことだま) |
|
|
古代の日本人は、その言葉に霊があって、その霊の働きによってそのまま、実現されるという観念があったという。(平凡社、字訓、白川静) |
|
|
万葉集の山上憶良が、出発する遣唐使に贈った長歌の中に、 |
|
|
「神代より云い傳(つ)て來(く)らく、そらみつ大和(やまと)の国は、皇神(すめかみ)の巖(いつ)くしき国、言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国と語り継ぎ、言い継がひけり」と送別の和歌がある。 |
|
|
神代から語り伝えてきたことには、日本の国は皇神の巖として、言葉の霊力の豊かな国と語り継がれてきた。(神としての天皇があなた方を見守っているから、無事に出発し、早く帰ってきて下さい)・・・好去好來、行ってらっしゃい。無事に帰ってきてね、と祈っている。 |
|
|
|
|
|
(四)日本語を大切に、魂のこもった言葉で・・・ |
|
|
このように天皇の言葉に霊魂が宿り、絶対の信頼を寄せている信条を詠みあげている。 |
|
|
今を遡る千数百年前の古代国家のことだから、現在の日本と比ぶべくもないかもしれない。しかし、日本古来の大和ことばから、漢字の導入、万葉仮名、漢字の訓読み、平仮名、片仮名を交えての近代になっての文語体、口語体、われわれの祖先から受け継いだ大切な日本語である。 |
|
|
|
|
|
参議院の選挙は近い。 |
|
|
「~させて頂きます」の連発よりも、一言一句、一行たりとも疎(おろそ)かにしない“綸言”のマニフェストにより参議院の選挙を実りあるものにして頂きたいものである。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
参考文献 |
|
|
|
中国古典文学大系 第3巻 礼記、第13巻 漢書 平凡社 |
|
古語辞典 字訓 白川静 著 平凡社 |
|
万葉集 新日本古典文学大系 岩波書店 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|