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私の似顔絵
(辛亥新春、昭和58年に
描いてもらいました。) |
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会長コラムへようこそ。
猛暑、酷暑、そして長い残暑、そんな夏も過ぎる。
漸く新涼、・・いよいよ秋たけなわ、懇親会のシーズンに入る。その第一陣に“宮島”のOB会がある。 |
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ミヤジマOB会集合写真 |
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夜来の秋雨もあがり、10月は3日(土)の午(ひる)さがり、ところは唐津神社前の長崎荘。 |
ミヤジマOB会。数えて第16回。 |
集うは、男性46名、女性27名。私ども、宮島傳兵衞相談役以下現役員9名を加え総勢82名。 |
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第16回ミヤジマOB会は「宮島傳兵衞相談役 米寿」のお祝いでもある。 |
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開始時刻前から、久しぶりにお会いするミヤジマOBたち、すでに会場ロビーは、にぎやかな会話がはずむ、。 |
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“記念写真を撮りますよ。お集まり下さい” |
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4~5列、全員微笑をたたえて、パチリ。 |
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開式、宮島会社歌、合唱。声高らかに・・・。 |
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“美しきかな松浦の清流海に入るところ 父祖傳来の生業を・・・♪♪” |
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主催者、宮島OB会会長、脇山甲子郎さんより御挨拶。 |
「88歳、宮島相談役、おめでとうございます。今後、益々会社の発展とともに御壮健であられますようお祈りいたします」 |
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ついで、宮鳳会(宮島醤油の謡曲の同好会)の方々による相談役の米寿を寿ぎ、謡曲「鶴亀」。 |
「庭の砂(まさご)は金銀の。庭の砂は・・・・・・」 |
音吐朗々、会場に響きわたる。 |
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花束贈呈 |
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米寿をお祝いして、寿退職後?年の女性からの花束贈呈。ちょっと、はにかみながら受け取る88歳。会場から大きな拍手、喝采。大いに盛り上がる。 |
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相談役挨拶 |
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おかげさまで、88歳。米寿を迎えることができました。 |
これも皆様方のおかげです。 |
かえりみますと、株式会社宮島商店時代に社長として出社したのは、戦争が終わった今を去ること65年前、昭和20年10月だったと思います。 |
昭和17年8月に父傳兵衞が亡くなりました。当時、私は大学生でした。その後、学徒出陣で兵役へ。戦争が終わります。大学へ復学することもできたのですが、すでに1年有余在学し、その後兵役だからということで、大学は「卒業」することができました。 |
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当時の会社の高木支配人から「社長として出社してください」と要請されて、復学せず、昭和20年の秋、ちょうど今頃、はじめて社長として出社しました。 |
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それから今まで、65年間、本宅から会社まで約百メートルを通勤しました。65年で何回往復したことでしょうか。 |
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この間、社長、会長、相談役と務めましたが、皆さん方の中には、入社の辞令も私の手から、退職のときも私の手から受け取られた人もおられます。 |
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考えてみますと、こんな事例はめったにないことでしょう。こうして私の米寿を祝ってもらえることは光栄であり、感謝しております。 |
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数年前、体調を崩しましたが、おかげで回復、ゴルフもたまにハーフぐらいはおつきあいをしています。 |
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ありがとうございました。 |
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会長挨拶 |
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宮島醤油は今年で128周年を迎えます。この長い歴史の約半分を相談役が勤められたことに驚き、感謝しています。 |
私ごとになりますが、私たち兄弟姉妹は、3男5女、一番年上の姉は今年90歳、末の妹は73歳、8人全員元気です。 |
今年の春には全員福岡に集まり、長寿のお祝いをしました。長寿に育んでくれた父母に感謝しながら・・・。今からも頑張ります。 |
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社長挨拶 |
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本年も盛大なOB会にお招き頂きありがとうございます。 |
今年4月に東京と名古屋に新た営業所を開設し、東日本への営業を強化しています。 |
現在ちょうど6ヶ月になり、いろいろ苦労していますが、まずまずのスタートを切っています。 |
これからの食品産業は、国内の農業と協力しあって進むことが大切だと思います。 |
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とくに地産地工という視点から一昨年は「佐賀のしょうゆ」、「佐賀無添加みそ」を発売しました。今年は佐賀牛カレーを発売しました。(今日のお土産としてお持ち帰りください。)おいしいですよ。 |
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会社案内のDVD上映 |
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会社のPR、工場見学者への説明用のDVDを上映、本社工場、妙見工場、宇都宮工場の生産工場、品質管理についてそれぞれ紹介。会社の現況を知ってもらいました。 |
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いよいよ乾杯! |
梶山守さんの音頭で宮島醤油、宮島商事の皆さんの健康を祈ってカンパーーイ。 |
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三々五々、なつかしい会話がはずむ。 |
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平成のはじめ、妙見工場を立ち上げた頃の苦労話、成功話、当時、役員をして活躍してもらった方々。久しぶりに販売促進や価格、安値競争にまつわる苦労話。 |
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元役員の方々と記念撮影 |
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突然、女性の大軍が相談役を囲んで、記念撮影。米寿のご本人も美女に囲まれ、目尻を下げてニコニコ。 |
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OB会の最初から、女性らしく細やかな心づかいに、そしてテキパキ明るくお世話をしていただいているMさんとパチリ。 |
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宴なかば、俳人Yさん、Kさんが、米寿祝賀の献句をもって、お祝いに来てくれる。 |
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天高し米寿祝賀の宴華麗 |
ただし |
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翁の賀に侍る幸せ喜寿の秋 |
守 |
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輸送課で大型トラックを運転してくれたT君は「ミヤジマを退職した後、数社に勤め、今は幼稚園の子どもさんの通園バスで・・・、やっぱり、ミヤジマさんが一番よかったです」としみじみ。 |
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ほとんどの出席者から |
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「会長さん、昨年、一昨年とは見違えるほど、元気ですよ」、「頭髪も黒々と若返って・・・・・・」と励まされ、 |
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「ありがとう、頑張るよ・・・・・・」と答える。 |
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今年は女性の参加が多く、おかげで華やか、にぎやかな雰囲気。 |
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おかげで、ミヤジマで職場結婚して、50年。金婚式を迎えました。子宝に恵まれたお母さん。 |
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会社を寿退社してよく街角で子どもさんを抱いていたお母さんでしたが、今は孫もできて、おばあちゃんになりましたよ・・・と満面に笑顔。 |
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御夫婦で出席されたカップルも。 |
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女性の最も古い御入社の方は、昭和29年。ご出席に敬意を表します。 |
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ほぼ年代毎に上司、部下の間での挨拶、趣味が同じグループ、と盛り上がる。 |
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会長コラム楽しみにしています、とはありがたい、等々、話はつきない。 |
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団欒の輪は広がる。 |
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芸達者の数人は、趣向をこらした余興、カラオケ・・・。 |
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語り合うことおよそ2時間。 |
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宴たけなわとなりましたが・・・、と中〆となる。 |
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万歳三唱の音頭は、岩崎淳三さん、心強く、宮島醤油、商事の発展と、皆様の御健勝を祈って、バンザーーイ、バンザーイ、バンザーイ。 |
名残惜しみながら、米寿のお祝いの記念の紅白ワイン、銘菓をたずさえて懇親会場をでると、秋の陽は落ち、秋風は快い。 |
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宮島は創業128周年を迎えた。この間に創業者七世宮島傳兵衞は、謹厳実直な人生観、社会変化に対応しながらの旺盛な事業開拓と卓越したリーダーシップで明治の時代に地盤を築く。好不況の大きい大正、昭和の恐慌時から第二次世界大戦、戦後と続いていく中で、質素、堅実、勤勉な社風が自然に生まれていったのだろう。有為転変の世の中であっても、いやこんな世の中だからこそ、こんな雰囲気を大切にしたいものである。 |
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“去華就実”とつぶやき、今日の宮島を築いてくれた人々に感謝しながら家路をたどる。 |
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