私の似顔絵
(辛亥新春、昭和58年に
描いてもらいました。)
 会長コラムへようこそ。

 あけましておめでとうございます。
 今年は、卯、兎の年です。
 ふるさと唐津の丘陵地では、今なお、たまに野兎に出あうとのこと。戦時中には、兵隊さんの防寒用の毛皮のために家族で兎が飼われていたこと等を想いながら兎にまつわる歌曲を口ずさんでいました。
 
卯、兎年に想う
~兎追いしかのヤマ♪~
(一)ふるさと
   兎(うさぎ)追いしかの山
   小鮒(こぶな)釣りしかの川
   夢は今もめぐりて忘れがたき故郷(ふるさと) ♪♪
 
 ご存知、文部省唱歌(大正3年)、“故郷”は、思わず口ずさむなつかしい唱歌である。明治の頃までは、小川にお魚が泳ぎ、里山には野兎が走りまわっていたのだろう。やがて、杉、檜の植林が進み、山里が開拓されるにつれ、山に棲む動物たちはだんだん減っていく。
 こんな唱歌が歌われていた頃には、植林が進むと、兎たちは餌を求め、新芽を食べる。そのために、兎狩りをしていたのであろう。とともに、捕えた兎は“うさぎ鍋”となり、住民たちの貴重な蛋白源となっていた。
 動物たちは人間と“共生”していたともいえそうである。
 
 兎追いしかの山♪・・・  兎は追いかけるとジグザグに逃げまわる。子供たちはキャッキャッとはしゃぎながら、山の方から低い山里の棚や網の方へ追い詰めていく。兎はご覧のとおり、前足は小さく、後足は太く強い。したがって、登り坂には強いが、下る方は不得手である。だから、高いところから里の柵の方へ追うとうまくいく。
 
 
二兎を追うもの・・・
 「二兎を追うもの一兎も得ず」という諺(ことわざ)がある。ふたつのことを同時にしようとしたら、どちらも中途半端になってしまう。ひとつひとつ仕上げていきなさい。という非常に解りやすい教訓ではある。
 例えば、二人の犯人を追いかけ、二人ともとり逃してしまった。2匹の虫をいっしょに捕えようと、補虫網をふりまわすと、1匹も捕れなかったという文字通りの使い方もある。
 しかし、一方では「芸術と金もうけはできない」、あるいは「家庭と仕事は両立しないのでは」などと使われるといささか抵抗を感じる。“Work Life Balance”では、どうか、二兎を追ってもらい、その後には、もっとすばらしい一兎(幸福、充実した人生)を追い求めてもらいたいものである。
 
 
脱兎の如く・・・
 兎は、逃げ足が速い。
 したがって、古くから「脱兎」の如くといえば、逃げ足の速い人の形容に使われる。「脱兎の如し」の原文はまことに古い。中国の春秋時代(BC770~450)、兵法書として最古の「孫子」九地篇に登場する言葉である。
 
「始めは処女の如くにして、敵人、戸を開き、
後は、脱兎の如くにして、敵人、拒(ふせ)ぐに及ばず」
 最初は処女(少女)のように弱々しく接すれば、相手はすっかり安心してしまう。そこを今度は脱兎のように猛烈な勢いでぶつかるのだ。安心していた相手は不意をつかれ、とうてい防ぎきれないだろう。
 
 この兵法が教えるところは、「ふりをする」ことの大切さである。弱々しいふりをして、敵を油断させ、安心させ敵の力を探り情報を集める。そして機を見て、脱兎の如く攻める。
 それが現代では脱兎の如く、走り逃げること「脱兎の勢」とそのスピード感にのみ使われている。時とともに解釈が変わっていく。
 戦後まもなく「ダットサン」という小型車が発表された。このネーミングは「脱兎」に由来するのだろう。発車が早く、小回りがきく、スピード感を一発で表現している。ネーミングとしてまさに秀逸である。
(二)待ちぼうけ
   待ちぼうけ 待ちぼうけ
    ある日 せっせと 野良かせぎ
    そこへ兔が飛んで出て
    ころり ころげた 木のねっこ ♪♪
 
 ご存知、北原白秋作詞、山田耕筰作曲(大正14年作)、すばらしい歌詞、軽やかなリズム、けだし、歌曲として最高傑作だろうと感心する。
 兎が飛んできて木のねっこにぶつかる・・・という話もまことに古い。
 いわく、「株を守って、兎をまつ」、守株待兎(じゅじゅたいと)という故事(はなし)がある。
 時代は、中国の戦国時代、宋の国に畑を耕していた農夫がいた。畑の中に木の切り株があった。たまたま兎が走ってきて、その切り株にぶつかり、首を折って死んだ。労せずして兎を得た彼はこれ以来、鋤(すき)を捨てて、耕作をやめ、切り株のそばを離れず、また兎が走ってきてぶつかるのを願った。もちろん、兎は二度とは得られず、彼は宋の国じゅうの笑いものにされた。
 
 この寓話は、人間は本来m性悪であるから、法律によって統治せねばならぬという法家思想を説いた「韓非子」の中に引用されている。
 当時は百家争鳴、いろいろの政治理念が交錯していた。
 中国古代の堯舜時代の徳治主義を守っていただけでは、戦国時代の政治はうまくいくものではない。株を守っているだけで放置しているだけではいけない。新しく法律を作って国を治めるべきであると説く。守株では融通がきかない。現代風にいえば、社会に対応した改革を、ということだろうか。
 
 “待ちぼうけ”の北原白秋もこの話を下敷きとして、この歌詞を作り上げたのだろう。白秋の意図するところは何だったのだろう。
 第2節から第5節まで、以下少し辛抱して読んでみて下さい。
 
  待ちぼうけ 待ちぼうけ
   しめた これから寝て待とか
   待てば獲ものは駆けて来る
   兎ぶつかれ 木のねっこ

  待ちぼうけ 待ちぼうけ
   昨日鍬とり 畑仕事
   今日は頬づえ 日向ぼこ
   うまい伐り株 木のねっこ
  待ちぼうけ 待ちぼうけ
   今日は今日はで 待ちぼうけ
   明日は明日はで 森のそと
   兎待ち待ち 木のねっこ

  待ちぼうけ 待ちぼうけ
   もとは涼しい黍畑
   いまは荒野のほうき草
   寒い北風 木のねっこ
 
 果報は寝て待て、頬杖ついて日向ぼっこ・・・
 今日も待って、明日も待って・・・、そのうちに涼しい黍畑もいまや、荒野の箒草、寒い北風が、木の根っこに吹き荒れる。
 
 中国の守株待兎の解釈よりも北原白秋の“待ちぼうけ”の最終節の「荒野に北風が吹きすさぶ」風景の方が心を打つものがあり、考えさせられる。
 こんな詩情を汲みとり、山田耕筰のリズムにのって口ずさむと、さて休耕田はどうなるのだろうと・・・気にかかりだした。
 
 追い掛けまわされる兎、逃げ足だけに注目される兎、木の根っこに追突する兎等々、身近な兎だっただけに、こんなことに引用されるのは、兎さんにとってはまことに不本意だろう。
 やはり、お月さんでお餅をつく兎さんが詩情豊かで美しい。兎さん、どうか楽しいお正月を迎えて下さい。
参考文献
「動物物語故事」 實吉達郎 著 河出書房
「十二支の民俗誌」 佐藤健一郎、田村善次郎 著 八坂書房
「韓非子第4冊」 金谷治 訳注 岩波文庫
「孫子」 金谷治 訳注 岩波文庫
「韓非子(中国古典百元百話2)」 西野広祥 著 PHP文庫
「孫子(中国古典百元百話4)」 村山孚 著 PHP文庫
「中国古典名言事典」 諸橋轍次 著 講談社学術文庫
「日本の詩歌 日本歌唱集 別館」 中央公論社