私の似顔絵
(辛亥新春、昭和58年に
描いてもらいました。)
 会長コラムへようこそ。

 毎年、佐賀県内の醤油味噌同業の仲間、相集い、研修と親睦をかねて、旅行する。
 今年も参加15名。訪ねたのは中国地方へ。山口県は瀬戸内海に面する甘露醤油の発祥の地、柳井市の「佐川醤油店」さん。次いで原爆の廃墟の中から、広島の“お好み焼”とともに発展された「オタフクソース」さんへ。
 厳寒の冬の合間の1泊2日。有意義な研修の2日間を振り返ってみました。
 
「草創と守成といずれか難き」 創業と安定はどちらが難しいのか
(一)柳井津の港にひびく産物「甘露醤油」を訪ねる。
 前夜来、心配していた雪もおさまり、ひと安心。2月9日の早朝、佐賀発、残雪の中を走る。関門海峡を渡るころに、突然、吹雪に見舞われたものの、中国道に入ると静かな雰囲気の中、数々のトンネル、山あいを走り抜け、柳井の港町へ。
 早速、ボランタリのガイドさんに案内してもらう。
 柳井津は、室町時代に対明、対韓国貿易で力をつけ、長門、周防を支配した大内氏の東側の重要な港として栄える。寛文3年(1665年)頃から干拓が進み、商業の中心となっていく。
 現存する古市・金屋地区には、中世からの町割りが残っており、約200mの街路の両側には、本瓦葺で妻入型や、入母屋型の屋根をもつ商家が並んでいる。徳川藩政時代には、各地の産物を満載した大八車がひしめいていたという。
 そんな説明を聞きながら、三々五々、今なお、金魚ちょうちん、お土産品、かみゆい処、等の商売をされている店々をのぞきながら、静かな街並みを散策するうちに、「白壁のまち」の一角にある「甘露醤油資料館」に行きつく。
 甘露醤油とは、再仕込み(さいしこみ)醤油とも称し、一度醸造した醤油に再び醤油麹(こうじ)を加え、醸成させる。言わば、醤油の工程を二度繰り返した醤油のこと、この醤油の発祥が、ここ柳井である。
 この技法は天明年間(1781~89)岩国藩主、吉川公が「柳井津に美味なる醤油あり」と聞き、これを所望、これに応じて柳井の造屋(つくりや)4代目「高田伝兵衛」が献上したところ、「甘露、カンロ」とその美味を称賛される。それ以来、甘露醤油と称し、名声を博し、西の方角、九州北部に普及して以来、200年、今日に至っている。
 
 甘露醤油を献上したのが、高田“伝兵衛”、私ども宮島醤油も歴代当主は宮島“傳兵衞”を襲名しており、何かしら親しみを感じながら、創業1830年(天保年間)の佐川醤油店の白壁の“蔵”をくぐる。社長さん自ら、出迎えられ、説明して頂く。
 蔵の中へ導かれ天井を仰ぐと、ガッチリとした合掌が組み込まれ、外見よりも広く感じられる。ゆうに1000坪はあるだろう。
 蔵の中は、30石桶(5400L)が数十本、醤(ひしお)の香も快く、諸味(もろみ)は静かに熟成を続けている。昔ながらの杉の木桶、その他の道具、4斗樽等々、なつかしく拝見する。その隅々にまで200~300年来の伝統の業、技を守ってこられた熱意が感じられる。
 
 本場の“甘露しょうゆ”を一本購入。研修を終え賞味、検討させて頂く。担当者からは、「宮島醤油の再仕込み醤油の製品より濃い。香りは程よく、甘味あり、旨味と甘味のバランスあり」とのこと。柳井の甘露醤油の伝統の味、香りであろう。
 柳井津で大切に甘露の技術と味・香を継承されている意欲がひしひしと伝わってくる。製品売場には醤油以外に、しょうゆ風味ごまふりかけ、ドレッシング等々、各種の調味料へとその販路を拡大しようとの意欲が感じられた。再び白壁の町並みを堪能した後、岩国の清流と錦帯橋の造形美を賞し、次の訪問先、広島へと山陽路を走る。
(二)お好み焼きとともに「オタフクソース」の発展は・・・
 親睦の一夕を過ごし、柳井から広島へ、翌朝「オタフクソース」さんを訪問する。
 オタフクソースさんは、大正11年、酒、醤油の販売にはじまり、昭和13年、醸造酢の製造をはじめられた。しかし、敗戦、広島の原爆の焼野原から屋台のお好み焼き屋さんとともに立ち上がる。
 戦後の食料不足の中、救援の小麦粉が支給される。この小麦粉をおいしく食べるべく、ありあわせの肉、野菜と鉄板の上で焼く。その時にかけるソース。そのソースは、いわゆるウスターソースではすぐ流れてしまう。どうにかして、少し粘りがあり、お好み焼にうまくマッチしたソースがないだろうか、との消費者の声をとりあげられたのが、“お好みソース”のはじまりという。
 
 最初に案内されたのが“Wood Egg お好み焼館”。
 お好み焼きのソース、その心は“和”。お好み焼きとともに歩んだオタフクソース。創業以来、長く、地域社会、市場との密着、地域社会への貢献は目覚ましく、その熱意に敬服する。
 この“Wood Egg お好み焼館”では、お好み焼き店舗向け、お好み焼き提案会、お好み焼き店開業研究等々、一般消費者には、お好み焼き教室、お好み焼きの体験、試食等々、幅広いPRが行われている。
 食品企業、同じく調味品を製造しているものにとって、興味をひくのが原料。
 ソースには、約20種類の香辛料、50種類以上の原材料が使われているとのこと。醸造酢とともにこの香辛料をいかにうまく使いこなすかには、絶えざる研究と経験が積み重なっているのだろう。
 その中のひとつ、恵みの果実「デーツ」を試食させて頂いた。
 思わず、「おいしい」という言葉が出る。
 ちょうど“干し柿”、それもお菓子に近い、高級の干し柿の上品な味だった。
 このデーツは、乾燥した砂漠のオアシスに生育する生命力の強い果実で、コーランには「神の与えた食物」、旧約聖書には「エデンの国の果実」として登場する。キャラバンの保存食、栄養食である。お好みソースでは昭和50年から、甘み、旨みのひとつとして使われているとのこと。お好みソースのかくし味、秘密のひとつだろう。
 
 最後にWood Eggに近い、本社工場を見学させて頂く。
 原材料の処理、その他は拝見できず、最終の充填包装部門はほとんど無人、近代的な衛生面も行き届いた立派な工場に感心し、お別れには、熱処理後の温かい「お好みソース」を頂いた。その心地よい触感は、今なお掌に残っている。「オタフクソース」さんのご厚意に感謝しつつ、工場見学を終わる。
 とりわけ、お好み焼館ご案内グループの佐藤春香さんにはお世話になった。見学した私たちは、同じ調味料を取り扱う業者なので、難しい質問もあったでしょうに、快く、的確にお答え頂き、一同、「さすが、おたふくさん」と感心していたが、早々に、そして逆に丁寧なお礼状まで頂き恐縮している。コラムの紙上を借りて、厚く御礼申し上げます。
(三)「草創と守成、いずれか難き」
 この度の研修では、300年の伝統の味香、技術を継承されている柳井の佐川醤油店さんと戦後お好み焼きとともに新しい地方の調味料として発展されたオタフクソースさんと、対照的な御両社から多くのことを学ぶことができた。
 中国の古典、貞観政要に、皇帝として「草創(創業)と守成、いずれが難しいか」との有名な問答が提起されている。
 われわれ、醤油、味噌業界は伝統産業を守りつつ、新しい分野を開拓、発展(創業)していかねばならぬ宿命を背負っている。いずれも大きな困難を伴う。研修旅行を経て、この問題の難しさを再び噛みしめている。
謝辞:
 最後になりましたが、御両社とも、お忙しい中、快く工場見学をさせて頂きありがとうございました。おかげさまで頂戴しました資料をもとに、このコラムをまとめることができました。厚く御礼申し上げますとともに益々のご発展をお祈りいたします。