私の似顔絵
(辛亥新春、昭和58年に
描いてもらいました。)
 会長コラムへようこそ。

 昨年末の衆議院議員改選の総選挙では、自民党が大勝利、そのまま平成25年を迎えました。
 何となく明るい気分が生まれ、成人の日には、あいにくの雪と風にもかかわらず、新成人の若人たちは、満面に微笑を湛えつつ、テレビのインタビューに答えてくれている。
 しかし、一方で、スポーツの強豪校の部活動では、追い詰められた主将が自ら命を絶つという悲しいニュースが流れ、慄然とする。
 ふと、自らの人生観を確立できず悩み続け、「厳頭之感」なる遺書を残した藤村操を思い出していた。
 
藤村操と「巌頭之感」
(一)「巌頭之感」
 明治36年5月22日、当時、第一高等学校文科2年生、藤村操は日光、華厳滝の崖上から、楢の大木の幹を削って「巌頭之感」を墨書した後、投身自殺をする。
 
 悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、
 五尺の小躯を以て此大をはからむとす、
 ホレーショ(註)の哲学竟(つい)に何等のオーソリチィーを價するものぞ、
 萬有の眞相は唯だ一言にして悉(つく)す。曰く、「不可解」。
 我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
 既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。
 始めて知る、大なる悲觀は大なる楽観に一致するを。
(註)ドイツに留学していたハムレットは、父の死を聞き、帰国してみると、父は叔父に殺され、王位は叔父へ、さらに母はその叔父と結婚している。ハムレットはこのことを知り、気狂いを装い、父の仇を討とうと煩悶する。(To be, or not to be)。ハムレットの友人ホレーショは哲学的論議でハムレットの企てを諌めようとするが・・・。
シェイクスピア作「ハムレット」より
 
 時に、藤村操は齢16歳(現在の高校2年生)。その年齢とは思えない格調高い見事な文章力は驚嘆にあたいする。と同時に当時の明治人たちは、父は屯田銀行頭取、母は教師という恵まれた家庭に育ち、最年少で一高に入学、前途洋々たる青年が、何故死を選んだのか、判断に苦しみ、さまざまな反応があった。
 
 例えば、「深く哲理の研究を好みて、熱心のあまり、不可能の原理追求研究に煩悶し・・・」と東京朝日新聞。
 または、「少年哲学者を弔す。・・・彼は時代に殉じた」とする万朝報。
 「ニーチェの創造的芸術に通じる」と同情する高山樗牛、等々。
 当時のマスコミでは「哲学的自死」と称して、賛美された論議が続いた。夏目漱石の「吾輩は猫である」には、「打ちゃって置くと・・・華厳滝から飛び込むかも知れない」とか「あの容子(ようす)なら華厳滝へ出掛けますよ」など登場人物にしゃべらせている。
(二)漱石と藤村操
 その夏目漱石は、英国留学から帰国し、一高兼東京帝国大学英文科の講師に新任したばかりであった。その最初の授業で、藤村操にテキストの訳読を命じた。ところが、藤村は、
 「やっていません」と答える。
 「どうしてだ」
 「やりたくないからです」とのやりとりがあった。
 さらに次の授業でも予習していなかったので、「勉強する気がないなら、もう出てこなくてよい」と突き放している。これが自殺決行の2日前だった。
 このことを知った漱石は自責の念が胸中から消えなかったという。
 
 しかし、一方では、「彼は病的早熟なり」とか「神経衰弱なるべし」、「文学中毒」等、いささか酷すぎる評も見受けられたようである。
 ともあれ、彼の劇的な「哲学的自死」は明治36年、まさに日露戦争直前の日本の国家民族的風潮の中にあって、内面的な思索をもとに「自我」を主張したことで、その後の学生に影響を与えたのか、東大、京都大の哲学科は、阿部次郎、田辺元、安倍能成、高橋里美等の錚々たる哲学研究者を輩出することになる。
(三)その後の日本の哲学
 巌頭之感から、数年を経て西洋哲学の研究から一歩進み、明治44年、西田幾多郎が「善の研究」を発表し、哲学的思索にふける若人たちの必読の書になる。
 彼が処女作に「善の研究」という、ユニークな題名をつけたのは「哲学的な研究がその前半を占めているにもかかわらず、人生の問題が中心であり、終結であると考えたからである」と称している。
 したがって、「善の研究は」、哲学書であると同時に人生論の書である。・・・さらに彼の哲学的思索は深まり、最終的には「純粋経験」という禅の体験を得て、絶対無などに純化されていく。
 ・・・・・・このあたりまでになると全く宗教の世界に迷い込んでしまってくる。
 いずれにしろ、明治時代には、哲学とは、そのほとんどが西欧の思想の研究に没頭していたが、漸く日本的風土から生まれた、独自の哲学として波及していったと解釈される。
 しかしながら、大正から昭和へ、日本はファッショ化していく中で、この潮流に対抗していく力をもたず、残念ながら第二次世界大戦に突入していく。
 今、これらの思索内容を考えると、西田幾多郎ほどの深さはなくとも現在の多様な文化、科学の進歩の中では、それぞれ個人が内省、思索し、個々人にそれぞれの人生観が必要ではなかろうか。
 以上、あまりにも堅苦しくなったと感じたときに、60数年前、先輩が教えてくれた自嘲気味な唄を思い出した。
 「デカンショ、デカンショで半年や 暮らす」
  あとの半年は寝て暮らす ヨイヨイ」
 「デカンショとは、デカルト、カント、ショウペンハウエル、ばい」との説明(その真偽は不明だが)が耳朶に残っている。
参考文献:
「旧制高校物語」 秦郁彦 著 文春新書
「現代の哲学事典」 山崎正一 市川浩 編 講談社現代新書