|
|
|
|
|
|
|
|
私の似顔絵
(辛亥新春、昭和58年に
描いてもらいました。) |
|
|
|
でんじろうコラムへようこそ。
皆さん、明けましておめでとうございます。
昨年は安倍ノミクス、じぇじぇじぇ、おもてなし等々、明るく年を越せたようです。
今年も“でんじろうコラム”をよろしくお願いいたします。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
馬九態(九は数が多い意味?) |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
馬の年男 |
|
|
今年の干支(エト)は甲午(きのえうま)、“馬”年です。 |
|
|
かくいう私、昭和5年1月16日生まれ。7回目の“年男”の84歳になり、同時にわが宮島醤油の創業明治15年も午年、会社も今年で11回目の午年で、12×11回=132歳になる。80余年も馬、午、と言われ続けると、何となく馬に親しみを覚え、事務所の机の一隅にある馬の置物を30数年余、つれづれに眺めている。 |
|
|
|
|
|
馬といえば、十二支その他の動物を含めた中でも、人間と最も「共生」している、いや人間がお世話になっている動物のひとつである。 |
|
|
|
|
|
馬と人間 |
|
|
幼い頃(昭和10年頃)の記憶をたどると、比較的重い、大きい荷物を運ぶ馬車と、農村に行けば牛とともに農耕用の馬に出会ったものである。 |
|
|
馬は4本の肢が長く、首が長い。肢が長いのは、重心が前にあるから、前方に動きやすい。従って、走るには最適な体型である。 |
|
|
しかも、走行するとき背中の線は適当なカーブの凹があり、人間が乗りやすい。 |
|
|
さらに馬は警戒心、恐怖心が強い。その反面、繊細で人間が愛情をもって接すると、従順で命令にもよく従う。 |
|
|
このようなことから、人類が馬を家畜として活用したのは、紀元前4,000年頃といわれている。日本では縄文、弥生時代に大陸から渡来し、古墳時代(西暦300年頃)には、馬具や埴輪が出土されていることから、すでに乗馬用となっていた。日本の歴史をたどると平安時代までは、貴人の移動は牛車(ぎっしゃ)だったが、源平時代になると、馬が主役となってくる。平家物語では「鵯越の奇襲」、「宇治川の先陣争い」等、たびたび馬が登場する。主に源氏側ということは、東地、関東地区ではすでに馬の飼育が盛んとなり、源氏の軍事力が優ってきたことで平家を破り、武士の政治へと移行したといっても過言ではないだろう。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
中国では古くから「『天を行くには龍に如くは莫く、地を行くには馬に如くは莫し』と馬は甲兵(軍事)の本、国の大用なり」と馬の存在価値を称賛しているように、人間生活で馬の効用は大きい。 |
|
|
軍事はもとより、移動、通信、運搬・・・等々、今はIT社会にとって変わられてしまって、貴人の騎乗馬か競馬として残り、私たちを楽しませてくれている。 |
|
|
|
|
|
馬の尊称から馬鹿馬鹿しい話まで |
|
|
これだけ大切な馬なので、中国では龍馬、天馬、神馬等の尊称がある。 |
|
|
特に龍馬とは「仁徳の備わった馬で、黄河の水の精」であるといわれ、坂本龍馬は、まさに“龍馬”にふさわしい人物だったのである。 |
|
|
天馬、神馬はいずれも「聖徳に感じて世に現れる」そうである。私の知人に「神馬」という姓の方がある。 |
|
|
しかし、一方では、駑馬(どば)といった呼び方をしたり、言葉の遊びで「白馬は馬にあらず」とか詭弁を弄したりするが、その中で最もひどいのは「馬鹿」だろう。 |
|
|
その語源をたどってみる。絶大な権力をふるった秦の始皇帝の二世になると、その力も衰え趙高という権臣がすべての政治を恣にしていた。あるとき、趙高が一匹の鹿をその二世に献上して、「これは馬ですよ」と説明すると、二世の皇帝は笑って「これは馬ではない鹿だろう」という。趙高はいや、これ「馬だ」と言い張るので、二世皇帝は左右に並んでいる家臣たちに尋ねると、家臣の大半は趙高の権力を恐れて「これは馬です」と答えた。 |
|
|
|
|
趙高は、後日、趙高に反対して鹿と答えた家臣を処罰したので、趙高の権力はいやがうえにも高くなったとのこと。
何とも馬鹿、バカバカシイ話ではあるが、暗君と奸臣(上司と部下)の間にはよくある話ではある。
|
|
|
|
しかし、この寓話を馬鹿馬鹿しい言葉にしたのは、日本人の冗談だろう・・・との説もある。 |
|
|
|
|
|
馬にまつわることわざ |
|
|
こんなバカげた話ではなく、人間にとって貴重な存在である馬には、含蓄のあることわざ、教訓が多い。 |
|
|
「天馬空を行く」とは、人の行動が自由奔放、書道で筆勢が雄渾なことのたとえ。 |
|
|
「馬耳東風」とは、人の意見、批判、噂などには、一切耳を傾けないこと。 |
|
|
「人間万事塞翁が馬」とは、人の一生の吉凶禍福は、常にあざなえる縄の如く、因が果となり、果が因となることを教える。 |
|
|
「馬乗を畜(やしな)うものは、鶏、豚を察せず」とは、馬乗を畜う(4頭の馬に乗る人=役職にのぼった人)は民と利を争ってはいけない、ということ。上に立つ人への大事な警告。 |
|
|
「良馬は鞭影を見て行く」とは、自らの職業にある人は、その職業について、常に怠らず、緊張感を持ち、鞭のちょっとした動きを察知して行動せよ。「武士は轡(くつわ)の音に眼を覚ます」と同意。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
駑馬千里 |
|
|
最後に私のもっとも好きなことわざは「駑馬千里」。駑馬とは、奴はドレイの意、馬が自らを謙遜して称する意。能力の劣る馬でも千里の道を行く。「兎と亀」の教訓と同じ意味。 |
|
|
|
|
|
12年前、72歳のとき、あと12年後の馬の年(84歳)までは大丈夫だろうが、その次の馬の年は96歳・・・、残り少ない年月になってきた。 |
|
|
今からも「馬齢」を加えつつ、駑馬千里・・・最後まで充実した日々を送りたいものである。 |
|
|
さて、ウマくいくかどうか。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
参考文献 |
|
|
「十二支の民俗学」 佐藤健一郎 田村善次郎 著 八坂書房 |
|
|
「十二支物語」 諸橋轍次 著 大修館書店 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|